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2011年10月 4日 (火)

今はディズニーランド・パリと呼ぶらしい 補遺

 ディズニーランドって、一体何なんだ?

 ぼく自身は、ディズニーで育った。ミッキーマウスも、ドナルドダックも、グーフィーも、白雪姫もシンデレラも、絵本や映画で憧れの目で眺めてた。ウチにはディズニーの絵本がずらりと揃い、就中、百一匹わんちゃんはお気に入りで、何度も繰り返し読んだ。

 夜八時に始まるTV放送「ディズニーランド」を心待ちにしていた。
 おとぎの国、冒険の国、開拓の国、未来の国の四つのアイコンのいずれかをティンカーベルがちょんとタップすると、たちまちその国のお話しが始まるという趣向になっていた。

 昭和三十年代、日本ではアメリカのテレビドラマが氾濫してた。アメリカ人のモノに溢れた生活を、誰もが羨ましがっていた。日本は軍事的にアメリカに占領されただけでなく、文化まで占領されていた。

 ぼくがどうにもアメリカを好きになれないのは、この幼少期の反動なのかもしれない、というのは、このテーマからは外れる。

 そんな風にどっぷりディズニーに浸っていた僕らの世代がディズニーランドに郷愁を抱くというのであれば、一応納得せざるを得まい。

 けど、どうして今の若い世代も「ディズニーランド」へ行くのだろう。

 「ディズニー」じゃなきゃいかんのか?

 ディズニーで育ってる今時の日本人の子供なんて、そう沢山はいないんじゃないのか?
 親が自分の郷愁で子供を洗脳してるにせよ、あいつらがミッキーマウスを見る視線と、ぼくらがそれを見る視線は、同じなんだろうか?

 本当は、キャラクターなんてどうでも良いのかもしれない。

 僕らの世代は、1950年代とか60年代のアメリカを繰り返しインプットされているので、そういう風景に懐かしさを覚えてしまう。その頃のアメリカの風景を見て「あの頃は良かった」とまで言ってしまう。

 勿論、オリエンタルランド独自の工夫でTDLが今の盛況を見ているのだろうが、そんな下地があったことを忘れてはならない。

 フランス人、欧州人が、日本人と同じようにアメリカ文化への憧れを持っているのかどうか。

 香港だか上海だかにもディズニーランドを造ったようだが、さてはて、中国民族がアメリカ文化への憧れをどれだけ持っているのか。

 日本で成功したからと言って、他の地域でも「どうだ、<みんなが知ってる>ディズニーのキャラって凄いだろう!使いたきゃカネ払え!」という高圧的な、アメリカ人らしい、押しつけがましいやり方での商売が同じように成り立つのかどうか。

 もし、ディズニーのやり方に学ぶべき点があるとすれば、それは「テーマを重視する」という着眼点だろう。これは潜在意識を支配する、実に巧妙なやり方だと思う。

 「キティ」 は、パリでもちょいちょいお目に掛かるキャラクター。でも単に「可愛い」という点でしか受け入れられていないように見える。テーマ、物語がないので、面としての広がりを持つことができないでいる。

 そういう方面での戦略テーマを展開できる人材が社内にいれば、「キティ」ももっと儲かるキャラクターになるだろうに。

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