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2012年1月 5日 (木)

あけましておめでとう…って

 新年のご挨拶のタイトルが「2011年」になってた・・・

 ヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ

 ご指摘ありがとうございました。

 <(_ _)>

 あけましておめでとうございます

 という意味が、ずっと分かっていなかった。

 家で、襖を開きながら
 「あけましておめでとうございます」
 襖を閉めながら
 「しめましてさようなら」

 子供の頃はそんなしょうもないこと言ってた。
 意味が分からないから、使うのがあまり好きでない言葉の一つだった。

 小学五年生の頃、日記を毎日教師に提出しなければならなかった。
 「年を越すと何故目出度いのだろう」と書いたら、「年を越すのがおめでたいのではなく、新年がおめでたいのです」とだけコメントが記された日記帳が戻ってきた。

 納得もせず、でもそれ以来、この言葉について考えたことはなかった。

 昨年、日本は様々な災害に見舞われた。第一級は何と言っても原発事故だろう。そのような被災者がおられるのだから、年賀状で「おめでとう」を使うのは控えるべきではないかというような記事を目にした。「喪中」の考え方なんだろう。

 臍曲がりのぼくである。
 不幸な人が日本に居たら、「あけましておめでとう」は言っちゃいかんのか?何故だ?

 思うに、なんやかんやあったけど、一旦区切りの付く大晦日まで何とか生き存えてきて、新しい年、即ち新しいピリオドに入ることができた、それは目出度いことだ、という、生存者同士が交わす挨拶が本来の意味なのではないか。

 それでは、服喪とは一体何なのか。

 神道では、死はケガレ。古事記に由来が見える。ケガレが落ちるまで、その関係者は他と交わるべきではない。服喪期間が終わるまで、その関係者に新しい年は来ない。

 だから、死人が出た家から「年賀状」は(神道的考えに従うなら)出すのは忌むべき仕業であるが、他人がその家に賀状を出すことは構わん筈である。

 まあね、そんな理屈こねても例えば、エレベーターに乗る際は本来下っ端が先に入って偉いサンを迎えるべきなのだが、その偉いサンがそういうマナーに疎ければ、「なんだ!先に入りやがって!」と怒るであろう。

 詰まらん詮索はせずに大勢に流される、これが日本での処方術なんだろう。
 そういう流れに時々竿をさすから、ワシは疎まれるんだろうなあ。

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