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2013年2月24日 (日)

森見登美彦

 ま、そんなわけで「四畳半王国見聞録」、「宵山万華鏡」、「夜は短し歩けよ乙女」と三冊立て続けに読んでみたのだが、正直言ってどれもイマイチ。
 「夜は短し…」は山本周五郎賞受賞作でもあるのだが。

 「有頂天家族」の傑作振りには到底及ばない。

 桓武天皇が王城の地を定めてより千二百年。今日、京都の街には百五十万の人間たちが暮らすという。

 だが待て、しばし。

 平家物語において、ミヤコ狭しと暴れ廻る武士や貴族や僧侶のうち、三分の一は狐であって、もう三分の一は狸である。残る三分の一は狸が一人二役で演じたそうだ。そうなると平家物語は人間のものではなく、我々の物語であると断じてよい
・・・
 人間は街に暮らし、狸は地を這い、天狗は天空を飛行する。
 平安遷都この方続く、人間と狸と天狗の三つ巴。それがこの街の大きな車輪を廻している。
 天狗は狸に説教を垂れ、狸は人間を化かし、人間は天狗を畏れ敬う。天狗は人間を拐わし、人間は狸を鍋にして、狸は天狗を罠にかける。
そうやってぐるぐる車輪は廻る。

 「有頂天家族」の出だし。狸さんの語りに天狗までが出てくる。もうこれだけでワクワクしない?

 「残る三分の一は」以下の下りに笑えぬ人は、多分この物語には近寄らない方が良い。

 ちなみに、この「だが待て、しばし」にワタシは痺れましたな。本blogでも多用させて頂いてます。

 さてそこから展開するのはもう、日光は東照宮の陽明門も裸足で逃げ出す極彩色ベタ塗りの、それはそれは怪異でありながら、何故かしら違和感もなく滑り込んでいける世界。

 これを映像化するには、エッシャーとダリがひしと抱き合った落とし子的才能の出現を待たねばならないであろう。

 冒頭に戻れば、これら四作に共通しているのは、読者を饒舌で幻惑しながら妖かしの世界にシームレスに引き摺り込んでいくという手法。

 午後の教室で、或いは寝不足の勤務時間中、はたまた厠の中で眠気を催し、そのまま抵抗せずにそちらへ誘われていく構えでこの作者の世界に吸い込まれていくのが、読む上での最上策である。

 高橋留美子のルーミック・ワールドみたいな舞台建てに、京都ほど打って付けの街はない。

 せやけど、立て続けに読むと、ちと飽きるな。

 それはそういう読み方をしたこちらの勝手都合で断じているだけで、作者を貶しているわけではない。

 このお方、泉鏡花と相通ずるところがあるのかないのか。

 興味をそそられぬわけでもないが、今更「高野聖」とか「歌行灯」を引っ張り出して再読するのも、なぁ。

 
 
 
 

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