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2013年5月 5日 (日)

茶壺

 茶壺って、なんだ?

 想起するのは、ずいずいずっころばしくらいなものだ。

 ちょこまか調べてみたら、新茶を半年壺で寝かせ、立冬の頃その口を切る「口切りの茶事」って儀式があるらしい。

 半年も真空パックでない普通の壺に入れたままだと香りが抜けるのではないかと気になるが、昔はいつでも抹茶が入手できるというわけではなく、一年分の碾茶を茶壺に詰め、茶人がその都度石臼で挽いていたそうな。

 よくよく考えてみれば、茶の葉は一年中収穫できるものでなし、結局どこかで保管しとかないかんよなあ。

 コーヒーみたいに産地別の茶葉を別々に茶壺に保管してずらーっと並べ、飲む時にはその日の気分でブレンドして「今日は宇治3に静岡1、西尾を1.5でお茶を点ててみました」と悦にいる、なんてこともやってたのだろうか。

 江戸時代、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中、あるいは宇治茶壺道中と言ったそうで、

茶詰めを終えると茶壺は封印され、羽二重で包み、さらにその上を綿入れの帛紗で包み、長棒駕籠の中に箱ができていて、それをその中に納めるというもので、その取り扱いには細心の注意が払われました。

茶壺道中は五摂家や宮門跡に準じる権威の高いもので、茶壺が通行する際には、大名らも駕籠を降りなければならず、街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作が禁じられたほどです。

 (出所:国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所)

 「茶壺に追われてとっぴんしゃん、抜けたらドンドコショ」は、茶壺道中が来たから慌てて家の中に駆け込んで戸口をピシャリと閉じ、抜けた=行ってしまった、らドンドコショ=ドンドン(何かを)しようという意味なのかなあ。

 けど、その次に来る「俵のネズミが…」はなんだ?

 この「ネズミ」を鼠ではなく、行列の小役人を小馬鹿にしてなぞらえた言い方だとすると…

 茶壺道中が一服とばかりに腰を下ろし、付近の農家から米を徴発してわいわい話ながら昼飯を食ってる様を、「あいつらチューチュー言いながら飯食っとるで」と揶揄したものだと考えられんこともない。

 農家と言っても米を蔵に持っているのだから、庄屋みたいな所だろう。

 茶碗の割れる音が聞こえ、「おい、誰か茶碗割りよったで、誰や」と、ついつい覗きに行きたいところ、「誰に呼ばれても絶対家から外に出たらアカン!」と親からきつく言い聞かせられた子供が家の中でひっそり身を静めている様子

 …って解釈は、成り立つな。

 「ごまみそ ずい」が「ゴマすり接待」とすれば、この解釈は更に補強される。

 「ずい」は、ずいずいずっころばし ごま味噌 ずい、と何度も用いられているから、多分「オラオラオラ」みたいな掛け声なのだろう。

 「ずっころばし」は、分からん。

 分からんが、上記解釈を元に全体像を組み立て直すと、

 茶壺道中が差し掛かったところで、村の庄屋がゴマスリのつもりで「どうぞどうぞ、ウチで一服しなはれ」と揉み手をしながら自分の敷地へ招き入れるが、子供達には「お茶壺道中やから、粗相があってはならん、家の中に閉じこもっとれ」と厳命。

 ご接待に昼食を出したら、何の役にも立たん連中のくせに米ばっか食いよる。鼠みたいなヤツらやと内心小馬鹿にしてる。

 そんな情景であるとすれば、「転ばし」は、方向を転換させて自分の家へ招き入れる…みたいな意味に解釈できんかなあ。「ズッ」は滑る・滑らせるの意味合いかな。

 自分的にはこれで割と納得できるのだが、それが子供の歌というのも、なんだか、なあ。

 性的な意味合いが含まれているという説もあるが、ぼくの思考範囲では全体的な辻褄が合わせられんかった。

 

 しっかしなー、そんな益体(やくたい)もないこと考えてたら、残り少ない人生なのにまた半日も潰してしもた。網戸の張り替えは先送りかぁ。

 

 

 

 

 

 

 

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