« 動体視力の衰え | トップページ | Carcassonne カルカソンヌ »

2013年5月20日 (月)

中野京子の本(補遺)

絵画は心穏やかに、難しいことを考えずに見ていたい 

 と投稿コメントを頂いた。

 ぼくもそう思っていた。

 ここに○×が配置されてるから、それは△を意味するものだとか、そんな予備知識なしに分かる絵を描けよ!といつも思ってたし、今でもそう思うのだが…

 中野京子の本を読んでると、現代のぼくらには難しく感じられることも、その絵が描かれた当時は誰にでも分かるという事象が山のようにあり、それがここかしこに配置されていて、それが分からねば、ホントに鑑賞できないのだなと思い知らされた。

 それはどの時代のどの国にでもあったことで、たとえば江戸川柳の破礼句(=下ネタ川柳)の一つ、

 せきれいは いちど教えて あきれ果て

 当時の江戸町民はこれでクスリと笑えたのだが、日本神話を知らない今の若者には手も足も出ないだろう。

 加えて、今はエラそうに美術館に収まっているけど、近代絵画は別として、テレビも週刊誌もない時代、絵画は一枚の絵の中にいろんなメッセージを込める手段や娯楽であったという点をこの人の本に教えてもらったのは、ぼくにとってはまさに目から鱗だった。

 その絵画のエピソードや背景を知っていれば、絵は生き生きと動き出す。当時の人々はそれを楽しんだんだろう。

 「ベツレヘムの人口調査」というブリューゲルの絵、このタイトルでweb検索してもらえばすぐに出てくる。

 雪景色の中、農民が列を成し、兵士が沢山並んでいる。

 これを見たことはあるが、なんのこっちゃ分からんかった。

 「名画の謎 旧訳・新訳聖書編」p.136~によれば、

 ここは臨時徴税所。旅籠にハプスブルグ家の紋章があることからそれと知れる、と。

 昔聖書の解説書を読んでた時に、徴税吏は最も軽蔑される職業とあり、ずっと納得いかないでここまで来たのだが、この解説で、そうなのか、この当時の被征服地に於ける「税」というのは、今ぼくらが感じるような所得税とか住民税とかいったものではなく、「搾取」であったのかと、恥ずかしながら、今になってようやく胸落ちした次第であった。

 ブリューゲルは、スペイン・ハプスブルグ家の圧政に苦しむフランドル地方の画家であり、この絵の全体像は当時圧政搾取に苦しむ民を描いたものということになる。

 そこへ、出産間近の、ぽつんとロバに乗ったマリアが描かれている。

 つまり、フランドルとベツレヘムを重ね合わせながら、救世主は今に現れるのだ、と、そういうメッセージが込められているという。

 更に、

不思議に思った人も多かろう。ベツレヘムで生まれたのなら、なぜイエス・キリストは終生「ナザレのイエス」と呼ばれたのか、と。

と、絵から離れて畳みかけるところが、この人の本の面白い所。

 ボッティチェリの「春」は、修復後まもなくのものをウフィツィ美術館で見たことがある。
 そんときゃ「ほー、絢爛たる絵なのね」くらいにしか思わなかったのだが、これにも数々のメッセージが込められている(らしい)。

 ギリシャ神話、ローマ神話、新旧聖書、西洋の歴史も知らずしてぼやーっと絵を見て回った自分は、何と勿体ないことをしたのだろうと、すこーしだけ悔やまれる。

 

 

 

 

|

« 動体視力の衰え | トップページ | Carcassonne カルカソンヌ »

文化・芸術・宗教」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1205954/51711043

この記事へのトラックバック一覧です: 中野京子の本(補遺):

« 動体視力の衰え | トップページ | Carcassonne カルカソンヌ »