« Android Market のマルウェア問題 | トップページ | 「ありがとう」への返答は、「はい」?? »

2013年9月21日 (土)

つるべ

 秋の日はつるべ落とし

 そんな陳腐なフレーズをいやでも想起せざるを得ないこの数週間。

冬至から 畳の目一つだけ 長くなる

 これは冬から春に向けての句だが、その逆の、秋から冬へ向かい「一つだけ短くなる」てのは寡聞にして知らない。

 それはぼくの教養のなさとして、

 ~つるべ落とし、を陳腐と書いたが、今の時代、この言い回しは果たして「陳腐」なのだろうか。

 言い回し自体は人口に膾炙して陳腐と思われるかもしれないが、「つるべ」って、今時の若いもん、知ってるのかなあ。

 笑福亭鶴瓶ではないのだよ。

 今や日本全国津々浦々、つるべを使ってる世帯ってどれだけあるのだろう。

朝顔に つるべとられて もらい水

 日本の伝統的な暮らしが消えて行くにつれ、その伝統に寄っかかっていた俳句の意味合いも、日本人にすら分からなくなっていく。

 心霊写真やビデオのケーブルテレビ放送と俳句をこよなく愛する知人と、上の俳句を引き合いにしてそんな話をしている最中、ふと疑問が湧き起こってきた。

 つるべ(釣瓶)は水を井戸から汲む道具である。従ってその昔は日常生活に欠かせないものであった。

 朝顔が巻き付いたというそのつるべは、一体どこに置かれていたのであろうか。地べたに置かれてるわけない。

 井戸は、基本的には地面からは幾分高い井桁で囲まれている。井戸を使わないときはその井桁を蓋が覆い、その上につるべが置かれている。

 加賀千代女はいったいいつ、朝顔に気がついたのだろうか。

 まさか、ある朝(か昼か夕方か)井戸端へ行ってみたら、突如朝顔がつるべに巻き付いているのを発見した、なんてことはないだろう。

 井桁はそこそこの高さがある。

 朝顔がその井桁を越えて蓋に至り、さらにつるべに巻き付く、そないになるまで気付かんかったというのは、やや無理があるよーな気がする。

 無理を承知で、それまで気付かんかったとしよう。
 でもって、やさしい気持ちで朝顔の蔓をちぎり捨てる気になれんかったから「もらい水」に行ったとしよう。

 日常生活の水を井戸に頼っていた時代、「もらい水」ができるほどの近所に別の井戸があったんだろうか。
 本家のすぐ近くに分家があれば、同じ水脈上で各々井戸を持っていても不思議はないから、そういうシチュエーションなのかな。

 でもね、釣瓶は「桶」である。一杯で汲める分量なんてたかがしれてる。

 一日に必要な水をまかなうには、何度も「もらい水」せにゃならんと思うのだけど。

 しかも朝顔は、花自体は一日で終わりだけど、蔓はどんどん伸びて、次々に花を咲かせる。

 加賀千代女は夏の終わりまで毎日「もらい水」してたんだろうか。

 そんなことを、つらつら思うに、どー考えてもこの句は作りもの臭いような気がするのだ。

 下七七に、「日々のこととて 毟り終えぬる」とでもくっついてりゃ、そうだよねーと胸落ちするのだが。

 そんなしようもないこと考えるわしには、俳句鑑賞の資格はないんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

|

« Android Market のマルウェア問題 | トップページ | 「ありがとう」への返答は、「はい」?? »

暮らし、雑感」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1205954/53329075

この記事へのトラックバック一覧です: つるべ:

« Android Market のマルウェア問題 | トップページ | 「ありがとう」への返答は、「はい」?? »