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2013年12月

2013年12月28日 (土)

首相の靖国参拝

 国家首相の参拝は、当然(と言うよりむしろ義務)だとは思うのだが、それにしても状況判断というものがあるだろうに。

 中韓に媚びろとは言わない。しかし今その両国が騒ぎ立てて領土問題まで絡んできている環境の中で・・・

 日本国首相の「靖国参拝」は果たして、『忌まわしき』戦争の記憶を呼び起こすのであろうか。

 26日の午後八時のFR2は「中韓が怒っとる」と五秒もかからない簡単な報道だけだった。同日付のLe Figaroの見出しは「Visite d'Abe à Yasukuni: l'UE réagit」だったが、中韓を怒らせるのは東アジアの状況を悪化させることになるというような口調で、参拝そのものを非難する内容ではない。

 煩雑になるからあれこれ細部に立ち入るのは避けるが、欧州民族にとって領土を奪うの奪われないのは日常茶飯事で、「あの」大戦中だって、アジア・アフリカを収奪の源としてたわけで。

 そういう『当時のコンセンサス』を明確にした上で、靖国参拝をやるならやるで、東京裁判史観の排除と我が国の立場を明確に宣言した上でなきゃ、唐突はいかんよなー。「文脈」っつーものがある。

 突然の参拝は騒ぎ立てている両国への挑発行為と見なされても、これは仕方なかろう。

 偽装漁船で自衛艦に体当たりしてくるような連中は、本当に何をしでかすか分からない。北朝鮮よりよほど怖い彼の国への、絶好の口実を与えるようなものだ。

 いや、本当に挑発行為なのかもしれない。国家秘密保護法で国内が騒がしくなったので、国家危機を煽ってこの政局を乗り切ろうとしているんだろうか。それは政治の手口の一つかもしれないが、もしそうだとしたら、周到に準備しているのかなあ。

 武器で儲けたくてうずうずしている連中がいる。そういう勢力にそそのかされているのでなければよいのだが。

 ところで、28日付の朝日新聞は、この参拝によって日本がますます「世界中で」孤立しているというような書き方をしている。

 ぼくが目にしたのはフランスとイギリスの論調だけなのでその余は知らないけど、ユーラシアの西のほうではそれほど大袈裟には扱っていない・・・ように思える。
 (ドイツではどのように報道されてるんだろうか)

 さてはて、もともと中国は気にしてもいなかった靖国神社を「問題」に祭り上げたこの新聞社は、いったいどこまで国賊行為をエスカレートさせていきたいのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月27日 (金)

2013年、フランスののクリスマス

 12月25日午後八時のFR2報道トップは、勿論バチカン。

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 大きく手を振る人々や満足げな人々の顔が映し出されていた。皇居の天皇ファミリーによる新年賀詞みたいなもんだ。

 昔元旦にバチカンへ行った時には、陽気というより厳かな感じだった。

 今年のクリスマス・イブ、フランスは強烈な嵐に襲われた。

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 ブルターニュ地方の映像。増水で破壊された家。

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 暴風は全土を襲い(と言っても、何故かパリ地方は難を免れている)、場所によっては時速170キロの風が吹き荒れて電線を始め何もかもズタズタ。

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 そんな中、ライフラインが止まっても、クリスマスイブは一族が一堂に会する特別な日。夕食の準備を、蝋燭の灯りの中で。

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 日本のお節料理とは思いを込める意味合いが全然異なるのだね。

 青空市場ではホームレスの人々へ食事を振る舞うところもある。この映像はボルドー。

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 バンドまで登場するのだよ。

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 そして、クリスマスと言えば、プレゼント

 24日に向けて商店デパートは大賑わい。誰もが頭を痛めながらも両手一杯の買い物をするんだが・・・

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 フランス人の六割もの人々が、心を込めて贈られた(筈の)プレゼントを売り飛ばすつもりなんだそうな。

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 贈られた側の三割以上が満足していないらしい。

 贈った側の気持ちを忖度するなんてこともなく、パソコンに向かってカシャカシャ。

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 こうやってwebで売りさばいてしまうのだ。何ともお手軽な世の中になったものだ。死蔵されてしまうよりマシだという考え方もできなくはないが。

 ぼくは小学校低学年の頃は「お誕生会」に招かれると渋々何かしら見繕ったような記憶はあるが、それ以来絶えて久しく「プレゼント」というものを贈ったことがない。人様の気持ちを読み取ることが苦手で、「どうせ喜んではもらえないだろう」という意識が強かった。

 自分で実行してきていないくせにこう言うのもナンだが、それでもプレゼントってのはやっぱりした方が良いのではないかなあ。

 贈った相手に喜んでもらえれば当然自分も嬉しい。だけど、相手が喜んで「くれなかった」ら自分が傷付くからやっぱ避けようというのは、ぼくと同じ負け犬根性。
 てか、それ結局、相手のことではなく自分のことしか考えてない証拠なんだと、ふかぁ~く反省するべきだろう。(ワシも反省しとります)

 百発百中相手の心を射貫くプレゼントなんて、そりゃ無理だろう。
 でも、他者との折り合いを付けていく技術を磨くには、小さな挫折を繰り返しながら試行錯誤するプレゼントという手法はうってつけだと思う。

 ナンパの達人とは、そう言う技法を完全に身につけた奴らなんだろうね。

 気付くのが遅きに失した  (゜´Д`゜)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月24日 (火)

世界初の人工心臓移植

 昨日ロベスピエールの顔復元の話を書いたが、その日の20時FR2ニュースのトップは、実は人工心臓移植だった。

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 生体心臓移植は臓器提供者が現れるのを待たねばならないが、人工心臓なら工業生産品なので、そう待たずにすむ。

 でも、こんなモン体に埋め込まれるんだな。

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 弁がこんな形状になっているのは、多分試行錯誤の末なのだろう。電気で動く仕掛けだから、当然動力源は必要となる。

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 バッテリーと制御器を付けることになるのだが、体の動きに応じて心拍が変化するようになっているとはいうものの、どういうサイコ・フィードバックとなっているんだろう。

 こういう話を聞くたびに、人体というものはおそろしく精密な制御装置が備わっているものだと感嘆せずにはいられない。

 それにしても、この手術を果断した医師は肝の据わった人だ。これが日本なら、万一失敗に終わったなら、日本のジャーナリズムはギャーギャー喚き立てることになるだろう。曰く、「臨床前の研究は果たして充分であったのか」「許されない生体実験」等々。そのお先走りとなるのは間違いなく朝日新聞だろうなあ。

 移植を受けた患者は75歳。当然常時監視体制にあるが、本人の意識はしっかりしていて会話もできるという。

 この手術には当然莫大な費用が掛かっただろう。それを全て患者が引き受けたのかどうかはこのニュース報道では言わなかった(と思う)が、キャスターは身を乗り出し、執刀医師に尋ねた。

 「将来、こういった手術の費用はdémocratiserされるのだろうか」、と。

 なるほど、ぼくら日本人が誰でも知っている(つもり)の「デモクラシー」という言葉は、こういう風にも使われる意味合いを根源に持っているのかと、その一点だけが妙に記憶に残ったので、敢えて書き記しておく次第。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月23日 (月)

ロベスピエールの素顔 Maximilien Marie Isidore de Robespierre

 ここで大フランス革命を論じようという気などさらさらござりませぬ。

 ロベスピエールのデスマスクから、当時の顔が3D技術で復元されたというニュースが先週金曜のFR2で流されたのを見て、へ~と思ったものだから、記憶の縁(よすが)として。

 3Dテクノロジーで再現されたという彼の素顔。

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 で、彼の肖像画と並べてみると、

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 むぅ~、「ビフォ/アフター」みたいな感じだけど、この肖像画が描かれた時期とデスマスクがとられた時期は違うんだろうから、画家がウソつきだと断定してはいかん。

 ぼくのパリ滞在における痛恨事の一つは、通算十年弱フランスにいながら、パリの観光地のあちこちでたむろしてる似顔絵描きに遂に似顔絵を発注しなかったこと。

 傍で見ていると、描いている彼らの技術には舌を巻く。細部を上手に工夫し、かけ離れてはいない程度に、男も女も幾分美形に描いてくれる。

 似顔絵を描いてもらっていれば、「じーちゃん、こんなに男前やったんやてー」と、わしも子々孫々語り継がれてもらえただろうに。実に惜しいことをした。

 そのロベスピエール、ジャコバン党ジロンド派の粛正、すなわち「恐怖政治」を敷いたと高校では教わった。

 「粛正」に活躍したギロチンという死刑執行方法がいかに手間暇掛からず合理的であったかは、下の図をご覧になれば一目瞭然。

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 歴史の教科書に麗々しく掲載されている「人権宣言」の国では、引き続きこのような処刑が行われていたのだね。

 その「恐怖政治」とはフランス語で terreur 。

 語釈としては

mesures violentes prises par un gouvernement, un groupe, pour briser toute opposition politique

 現今マスコミが無自覚・無制限に・・・というより、米合衆国政府のお先棒担ぎで垂れ流す「テロ」の語源となっている。

 「テロ」ってのは、どーも少数抵抗勢力を暗に示すような語法がはやっているが、方針に反対する勢力を暴力で封じ込める行為をさすのであり、政府だってその主体となり得るのだ。

 「自由・博愛・平等」がフランス革命の理念であったはずなのに、このような処刑は依然庶民の「娯楽」となっていた。

 と言って、ロベスピエールが率先してこのような虐殺を主導したのかどうかぼくは知らない。ご本人はいたってまじめな清貧の人であったとも聞く。

 世界中が絶賛しているであろう、あのフランス革命というものに、ぼくは実にいかがわしい臭いを感じている。
 ロベスピエールはその捨て駒でしかなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月19日 (木)

justice = 正義?

 しばらく前に評判になったマイケル・サンデル著、「これから『正義』の話をしよう」。

 読み進むなか、ずっと違和感があった。

 この教授がこの場で講義している内容は、「正義」・・・か?

 たとえば、これは有名な例ではあるが、爆走してくる電車がある。そのまま看過すればその先で五人の命が電車の下敷きとなるが、自分の目の前にいる男を線路に突き落とせばその五人の命は救われる、という命題が提示される。

 自らの手で一人を強制的に死に追いやり五人の命を助けるのも、自分は手を下さずに五つの命を見殺しにするのも、今の自分の行動一つに掛かっている、というわけだ。

 果たしてこれは、「正義」に関する命題なのだろうか?

 「義」とはすぐれて思想的なものである。
 天皇を尊敬する者にとって、天皇を侮辱する者を許すことはできない。これが「義」である。そして、逆もまた真である。

 拠って立つ思想を抜きにして「義」はありえない。

 サンデル教授が提示しているのは、あなたがたの常識で考えて、どっちを採る?という投げかけだけだ。実際、彼は結論めいたことは述べない。

 原書のタイトルは「JUSTICE」。

 OXFORDのweb辞書に拠れば justice とは、「the fair treatment of people」。

 では、faireとは何だというと、「acceptable and appropriate in a particular situation その状況に於いて合理的として受容できること」とある。

 faireを「公正」と翻訳してしまうと、また少しズレが生じるだろう。

 この講義の中で教授が生徒に繰り返し投げかけているのは、「君の判断基準を確立したまえ」という、思考スキルのブラッシュアップの促しであって、「正義」を説いているわけではない。

 出版社は分かった上で本書の邦題を正義云々としたのだろうか。でも、随分売れたようだから商業上はオーライ、かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月12日 (木)

IKEA でお昼寝、IKEA でピクニック

 中国の IKEA で、スウェーデン人は昼寝をする大量の中国人を見ている。

 と伝えるのは、10月5日付のLe Figaro電子版

 その元記事、South China Morning はこちら

 さすがに写真をパクるのは控えたいので、上記リンクで写真だけでもご覧あれ。仰天するぞ。

 以下、記事の概要。

 土日ともなると、夥しい中国人が家具売り場へやって来て、ベッドに潜り込んで昼寝をしているそうな。しかも、その展示品であるベッドの上で、子供にペットボトルに向けでおしっこをさせる母親まで居る。一応ペットボトルで受けてはいるが、大量に「こぼれて」いる。(上記リンク記事中に写真あり)

 食卓売り場では、持参の弁当を一家で広げている光景も珍しいものではない。

 きっと中国の方たちの習慣は私たちのものと違うんでしょうね、と従業員はアイロニカルに語る。

 店長は辛抱強く我慢している。明日は良いお客さんになってくれるかもしれないと。

 大量の来店者があるにもかかわらず、レジが混み合うことはない。
 それでも、中国全土で11店舗への年間来場者数1500万人、総売上7億ユーロ(700億円以上)。

 なのだそうだ。

 なるほどそれなら、「未来のお客さん」を無碍に扱うわけにもいかないのだろう。
 IKEAは、2020年までに40店舗にまで増やす計画だという。

 何事もゼニですな ┐( ̄ヘ ̄)┌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月10日 (火)

中国の政治ジョーク

 愛読してるレコードチャイナに、ちょっと気に入った政治ジョークがあった。

 (中国で)公用機が墜落。乗っていた政治家は全員死亡した。
 調査グループは現地の老人に事故当時、本当に生存者はいなかったのか質問した。すると老人は笑いながら答えた。

 「いたよ。ワシの足にすがりつきながら、オレはまだ死んでないって言っていたよ。ただ皆さんご存知のとおり、政治家は本当のことを言わないものだからね。だから埋めておいた。」

出典: http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=80043&type=

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月 9日 (月)

韓国にも Wikipediaはあるのかな

 昨日、同じ項目でも他の言語と対比してみると、Wikipediaもなかなか興味深いものだと書いた。

 で、ふと思った。

 19世紀後半から20世紀前半に掛けての様々な出来事を、ハングル・Wikiはどのように記述しているのだろう。

 残念なことにぼくはハングルが読めないので、分からない。

 (ぼくらの側から見て)明らかに間違っていると思われる部分を「訂正加筆」したら、どうなるんだろうか。

 韓国にWikipediaが存在するのかどうかも知らないが、もしあるなら、
 求む!チャレンジャー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月 8日 (日)

12月8日

 日米開戦記念日。
 昔はこの日、毎年新聞の第一面にこの話題が載っていたものだ。

 と、遠い目をしても仕方ないな。

 アホな戦争に突入してしまったもんだが、真珠湾奇襲攻撃に至らざるを得なかったのは、そもそも大日本帝国の躍進を快く思わないABCD (America, British, China, Dutch)の共謀で原油の輸入ができなくなる環境を作り上げ、その上でアメリカのHull というオッサンが「最後通牒」を突きつけたから。
 そのせいで日本軍は戦争突入を余儀なくされた・・・というのが、ぼくのこれまでの理解。

 その「最後通牒」とされる「ハル・ノート」。
 えげつない内容やったんやで~との解説は散々見聞きしてたものの、実はこれまで原文を読んだことがなかった。

 (ゆーても、東京裁判のパール判事の論述原文も、最初の方をちょこっと読んだきりなんだけど・・・ (^^ゞ)

 そんなことで心を改めて一通り読んでみたけど、今ここでハル・ノートの内容を縷々述べるつもりもない。

 それより、アメリカ国民はこれをどのように受け止めとるんかいなと、ちょいと興味が湧いた。

 こういう時にこそ、Wikipedia は役に立つ。日本語版と英語版では当然内容が異なる筈だからね。

 (フランス語版もチェックしてみたけど英語版の完全コピーで、フランス人の視点を知るには何の役にも立たんかった。
 フランス人はこの件に関しては何の興味も持ってないらしい ( ̄。 ̄;)

 英語版の「The note」の部分の記述は興味深い。

On November 25 Henry L. Stimson, United States Secretary of War noted in his diary that he had discussed with US President Franklin D. Roosevelt the severe likelihood that Japan was about to launch a surprise attack, and that the question had been "how we should maneuver them [the Japanese] into the position of firing the first shot without allowing too much danger to ourselves.

On the following day, November 26, 1941, Hull presented the Japanese ambassador with the Hull note, which as one of its conditions demanded the complete withdrawal of all Japanese troops from French Indochina and China. It did not refer to Manchukuo, in which hundreds of thousands of Japanese civilians were already living. At the time, the United States did not officially approve of the Japanese occupation of and claim to Manchukuo, so Japan assumed that "China" included Manchukuo. Japanese Prime Minister Tojo Hideki said to his cabinet, "this is an ultimatum.

 ここに明確に「about to launch a surprise attack」を当時の大統領ルーズベルトが知っていたことが書かれている。

 Wikiの記述が100%正しいなんて言う気は毛頭ないし、他の項で明らかに間違っている記述があることも知ってはいるが、それでも、このweb百科事典というのは、誰でも書き換えることができるってところに価値がある。

 さすがに Hull note ともなれば、もしそれが(彼らの)歴史的事実に『反する』と考える連中が大多数なら、とっくに書き換えられているだろう。

 英語版のそういうwikiに、「ぼちぼち来るな」と当時の米国大統領が承知していたとの記述がある。等閑視すべきものではなかろう。

 日本軍にいかにして戦争の火蓋を切らせることに腐心していたかという米国のスタンスをうかがわせるに十分であろう。

 ここまではほぼ周知の事実、てか、ぼくが了解していた事実。

 ところで、この英語版wikiでかなり気になった箇所がある。

In July 1941, Japanese military units occupied southern French Indochina, violating a gentlemen's agreement. Japanese bombers quickly moved into bases in Saigon and Cambodia, from where they could attack British Malaya. As a result, immediately after the Japanese military occupation, the US government imposed trade sanctions on Japan, including the freezing of Japanese assets in the United States, and an embargo of oil exports to Japan.

 ABCD包囲網に先だって、日本軍は仏領インドシナを急襲して占拠したの?
 その報復措置としてABCD包囲網が敷かれるという流れになってしまったの?

 この辺りの事情は全然知らん。誰か詳しい人、教えてもらえるとありがたい。

 さはさりながら、このHull note、全文とは言わない、前文だけでも読んでみる価値はある。
 http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/data/hullnote.html

 前段では、「ワシら合衆国政府は日本政府との間で、いかに平和的に取り決めをしようと頑張ったか」と印象づけられる文章となっている。

 この前口上を読んでいると、「やっぱりアメリかって、偉いんだよねー」と第三者が思わざるを得ないような言い回しで、正義は我にありと、びしっと決めている。

 これが「外交」である。

 「村山談話」を何故か中国語と朝鮮語「のみ」でHPにこそこそ掲載して、姑息に手揉みしている我らが外務省とは、所詮格が違う。

 山本七平の「徳川家康」を読んだ直後なだけに、それに引き替え今の我が国の指導者たちは・・・と、暗澹たる気持ちになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月 7日 (土)

山本七平著 徳川家康

 山本七平の本は随分読んできたつもりだったが、その昔、古本屋の棚にこの本の背表紙を見付けたときはちょっとびっくりした。こんな本も書いていたのか、と。

 分厚い一巻本だった。少々お値段が張った。ぱらぱらと見て棚に戻した。

 それから一週間ほど後、やっぱり欲しくなってもう一度その古本屋へ行ったら、もう、なくなっていた。釣り逃がした魚は大きい、という心情だった。著者の遺稿ということであれば、尚更その感は強かった。

 それから時々思い出しながらも、本屋でこの本を見かけることはついぞなかった。新刊書店で単行本のコーナーに立ち寄ることがめっきり少なくなっていたせいもあるのだろう。

 先頃ちくま文庫でこれを見付けたときは大層嬉しかった。一気呵成にというわけにはいかず、二週間掛けて上下二巻を読み通した。

 なにしろ山本七平の著作である。平凡な伝記であろうはずがない。

 太閤秀吉は世間に人気のある人であった。それに比べ家康は、「腹黒い」とか「狸オヤジ」と一般に評されているが、それは違う、と著者は繰り返し述べる。

 「海道一の弓取り」を自負したほどの実戦での実力者であり、加えて経済にも目配りが細かく行き届く超一級の政治家であったのだよと、これまでぼくの知らなかった側面から光を当てている。

 多数の当時の文献・書簡がその論拠として引用されており、脳味噌が鈍(なま)ってしまったぼくにとってはこれが読み進むスピードに大きな障害となったのだが、とにもかくにも全文に目を走らせた。

 織田が捏ね 羽柴が搗きし天下餅 座りしままに喰うは徳川

 そんな川柳があるが、家康の業績の過程内実を知らない者が結果だけを見れば、「座りしままに」と見て取っても不思議はない。

 そう見えてしまうほどに家康という人は、洞察力を傍らに常に機を待つ辛抱強い、極めて自己統制能力に優れた人であった。

 あの方広寺の「国家安康」事件。これは家康が大阪城攻撃のための言い掛かりとして使われたとして人口に膾炙しているが、家康は豊臣家の存続を期してそれまでに何度も何度も繰り返しオファーを出していた。なのに、過去の栄光にすがってのみ生きる夢見る夢子さん淀君が全てを阻んだが故に、挙げ句の果て豊臣家は滅亡に至った。

 本書は、唐突に毛利元就の話から始まる。元就が如何に知略家であったか、その知略謀略に拠るところも大きかったのだろう、七十五歳で世を去るまで、二百六十六戦不敗という、超人的な結果を残し、日本統一をなしえる可能性を持った人物であったという記述に、少なからぬ分量が割かれているのにはちょっと面食らうが、読み進んでいけば何故元就の話から始めたかの理由が分かる。

 家康が実戦世界で手本としたのは毛利元就であり、理想としたのは源頼朝と政治の歴史であった。

 それまで受け容れられていた過去の法令をしっかりと勉強した上で以降の枠組み造りをしたからこそ徳川三百年の安泰の礎を築くことができた。

 今の政治家に家康ほどの洞察力があれば、と、後半部分で著者の嘆きがぽろりとこぼれ落ちる。

 天海や金地院崇伝のエピソードが殆ど出てこないのが自分としては少々寂しいのだが、そう思うこと自体、本書の目的を分かっていないと誹られそうだ。

 =======

 以下は自分のメモ。

 この本を読むまで、迂闊にも全く気にも留めていなかった事実に気付いた。

 家康の頃、スペイン&ポルトガル、オランダ、そしてイギリス人(三浦按針)が日本にいた。

 これらの国は互いに覇権を巡って戦争真っ直中であった上に、宗教上でも憎み合っていた時代である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月 5日 (木)

Sand Art

 久しぶりに見て、やっぱ感動した sand art。

 歌舞伎に「早変わり」という技法があるのはご存じだろうが、この sand art は、その真逆。

 一つの砂の絵が、十本の指が触れるたびに、揺らめきながら脱皮のように連続的に変貌していく。

 お薦め二つ(youtube)。

 Kseniya Simonova - Sand Animation (Україна має талант / Ukraine's

 Sand Art by Ilana Yahav - SandFantasy - "Home is where the heart

 以前ご紹介したことがあったかどうか記憶に定かでない。
 「ガイシュツ」だったら、ゴメン。
 (↑ 一時期2chで流行ってました) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月 4日 (水)

歩き方

 「なによ~、アナタの足の裏、真っ平らじゃないの~」

 あぐらをかいて座ったぼくの前でおふくろが指さしながらケラケラと笑った。

 「子供の頃はもっとちゃんとした土踏まずがあったはずなのにぃ」と追い打ちを掛ける。

 あらためてしげしげと眺めてみると、なるほど確かに平たい。

 世間で言うところのへんぺー足  ( ̄。 ̄;)

 漫画「テルマエ・ロマエ」では、日本人を「平たい顔族」と表現していた。ぼくは同時に「平たい足族」でもあるな。

 土踏まずは歩行中のクッションの役割を果たすという。
 そしてまた、人間の体や器官は使われないければ退化していくとも言う。

 してみると、ぼくの土踏まずが退化したのは歩かなくなったことに原因があるのだろうか。

 歩くのを忘れたのはいつの頃からだろう。

 子供の頃は歩くのは全く苦にならなかった。徒歩一時間なんて、屁とも思わなかった。
 齢(よわい)四十代でも、目的地まで四キロ程度でバスの待ち時間一時間という状況だと、それなら歩いても到着時刻は同じやんと、躊躇なくバスを待たずに歩き始めていたんだが。

 歩くのが多少億劫になってきたのはトシのせいだけやろか。

 歩き方が崩れてきているのかもしれない。
 けど、正しい歩き方って、どんなん?

 踵(かかと)から着地せよと勧める人もいれば、踵着地は膝と腰の関節に過大な衝撃を与えるからいかんと唱える人もいる。

 悩んだ時は先人の知恵を借りるに限る。江戸時代の日本人はどんな風に歩いていたんだろう。

 戦国時代の武将の嗜みであった能楽。その歩法は腰にタメを作った摺り足である。

 しかし、能楽の前進歩行は僅かに踵着地。それ、草履や下駄には向いとらんのではないかいな?

 そんなことを考えてたら、高橋尚子の走り方レクチャーのビデオに出会った。彼女は一直線上に足が着地する走りをすると言う。

 直線上の左右に足跡が残るような走り方より、一直線上に足跡が残るように走る方が腰が入る、腰が入ることによって1cmくらいは歩幅が広くなる、一歩で稼げる距離が僅か1cmでも、フルマラソンとなると、積算すれば大きな差になるというものである。

 明治の「文明開化」以前、日本人は皆和服を着ていた。当たり前だけど、鳶職とか飛脚はそーじゃないけどね。

 和服は踝(くるぶし)まで包まれているので大股では歩けない。一歩の距離を稼ごうと思うなら、腰を入れて歩かねばならない。しかし、ぼくらが小学生の時に習った左右の腕と足が逆に前に出るような「体育歩行」では、充分に腰が入らない。それに、着物全体がよじれ、裾捌きが汚くなる。

 「ナンバ走り/歩き」てのがちょっと話題になった時期があった。
 右足が出るときは右手も前に出し、左足が前に出るときは左手を前に出すという、江戸の歩法であるとの触れ込みだった。

 その提唱者には多少敬意を持っていたので試してみたけど、自分にはとても合わない歩き方で、すぐに諦め、忘れたままになっていた。
 「体育歩行」のように勢いよく手を振りながら右手と右足、左手と左足を揃えようとしたことに無理があったらしい。

 その「ナンバ」、そないに気張らんでも、単純に右半身と左半身を繰り返せば良いことに気が付いた。

 昔見た時代劇、武士が袴をつまみながら膝行でにじり寄っていく、あのやり方だ。

 ああ、そやったんかいな。手は勢いよく振らんでよろし、上体は捻らんと安定させたままで骨盤だけぐいと出せばええんやな。

 実は、最近これにかなり近い歩き方をしていた。「腰で歩く」という感覚を持って歩くと、結構楽で歩幅が勝手に広くなることには気付いていた。

 これに重心移動を加えると、自動的に半身開きの歩き方となり、前進するための蹴り出す力が不要になる筈である。

 あれこれ悩みつつこの一週間ばかり、手探りつーか足探りでいろんな歩き方を試してたら、腰を痛めてしまった。

 やっぱ我流はアカンらしい。

 何事にも先達はあらまほしきものなり、である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月 1日 (日)

ハゲはやっぱり不利らしい

 若い頃から頭髪は薄かった。

 オヤジは四十代後半辺りから急速に禿げていった。何の気なしに禿げてきたなと言ったら、随分怒りよった。

 ぼくはハゲと言われても気にならない。多分鏡を見ることが殆どないせいだろう。
 若い頃から毎朝鏡に向かって入念に頭髪の手入れをしていたなら事態は大きく変わっていたのかもしれないが、自分では苦にならないからさほど後悔することもない。

 そもそも頭髪にどれほどの意味があるのかよく分かっていなかった。

 体温を保持するためだとか、頭部は大事なので、何かにぶつかったときのクッションになるとか聞いたことはあるが、未だ頭髪がある時分は「そんなもんかいな」と思う程度で、大して気にも留めなかった。

 ハゲがかなり進行し始めた折、まだらになりながらもいじましく濡れ落ち葉風に残っている頭髪に、さすがのぼくもこれは見苦しかろうと思い始めた。自分では平気だが、傍の人々が不愉快に思うかもしれんなーという「思いやり」の発露からである。

 いっそツルツルに剃ってしまおうかとも考えたが、それだと毎日剃り上げねばならず面倒なので、結局そのまま今に至っている。

 今では額から頭頂部へ掛けてかなり禿げ上がっている。いつだったか、何かの角に頭をぶつけ、額上部を負傷した。その傷が長らく癒えず、ゴルバチョフ風の状態が長く続いた。
 カンカン照りの日光の中に長時間いて頭が日焼けしたこともあり、正直、これにはまいった。

 そういうときには、なるほど頭髪は有用であるわいと嘆息したものである。

 ぽつりと落ちてきた雨を頭頂部で敏感に察し、「お、雨だ」と周囲の者にいち早く宣言できる時には多少の快感を覚えないでもないが、なに、そんなもの、数十秒も経てば誰だって雨が降り始めたことは分かるのだから、取り立ててアドバンテージとも言えまい。

 しか~し、ハゲは決定的に不利なのではないかとつい先頃思い当たった。

 体内の水銀量を調べるのに頭髪を用いる。
 つまり、髪は排泄器官でもあったんだ!

 だとすると、豊かな髪を持つ連中に比べ、ハゲは排泄能力に劣るということになる。
 見てくれはどうでもエエ。それはええけど、損得で言うなら、これは決定的にソン。

 米語で「ハゲ」は baldness だけど、「hair disadvantaged」というのが Politically-correct term なんだとか。

 この表現もどうかとは思うが、確かに disadvantaged ではあるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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