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2014年12月30日 (火)

ライフログ

 最初にライフログという言葉に接したのは、身に付けているだけで一日の行動を全て撮影してくれるというカメラの紹介記事だった。

 何秒置きかにひたすら自動的に撮影を続けるというもので、その日自分がどこで何をしていたのか確認できるというスグレモノ。

 今日自分が何をしていたのか、半分どころか四分の一も思い出せない自分としては、実に魅力的な「おもちゃ」に見えた。でも、それを記録することで何が期待できるんだろう。
 そのカメラの関連記事では、認知(障害)症への応用が期待できるかもしれないとあった。

 そんなことは久しく忘れていたのだが、「自分の人生、どこまで記録?~広がる“ライフログ”~」というタイトルで、NHKが2012年4月に「クローズアップ現代」で取り上げていたのを知った。

 この番組で紹介された「ライフブロガー」たちは認知症とは縁遠い。スマホに摂り溜めた過去の写真を時間潰しに眺めながら、「そういえば、あそこの店、美味しかったよね」と記憶を新たにする者もいれば、逐一記録された所要時間別の行動を「勉強」とか「食事」のように分類付けをし、自分の行動の効率化を図るといった人々が紹介される。

 極め付けは、自分の手元にあるこれまでの自分の生涯全ての記録をデジタル・スキャンして、それらを日々眺めているという46歳の男性であろう。

 過去ばかりではない。彼は掃除から買い物から日々の行動全てを記録している。蓄積された過去データはルーティーンで必要な(例えば歯ブラシの買い換え時みたいな)行動を毎日「適切に」促してくれるのだそうだ。このシステムのお陰で雑事を考えなくて良くなったので自分の時間が増えたとこの男性は言っていた。

 ホンマでっか?行動記録は逐一自分でやらなあきませんやろ。その分手間かかってるんちゃいますの?

 毎日過去の自分と向き合っている「副作用」もあるらしい。頻繁に「過去の自分」を眺めているので、今となっては小学生時代の自分の写真を見ても「懐かしさ」は感じられないと語っていた。

 そのような語りをルポ終盤に持ってきたNHKの意図に引き摺られるほどぼくは無自覚ではないつもりだが、それでもやっぱり少し考えさせられてしまう。
 この辺りの構成はそれなりに説得力があり、NHKって、やっぱりうまいなあとも思う。

 ぼくも若かりし頃は大学ノートに一日で二頁も三頁も日記を書いていた。当時は多分、自分の中ではそういう概念はないままに「ライフログ」のつもりで書き続けていたような気がするが、そこにはメソッドも何もなく、結局自分の思い入れや怨念をノートに向かって吐きだすだけのカタルシスみたいなもので、結局再読するに値しないものばかりだった。

 ライフログは過去の自分と向き合うことで現在の自分を再確認するためのツール。だからあまり内省的なことは書かず、事実と感想程度にとどめるのがよろしいようだ。

 自分の経験であれば、何か取っ掛かりがあれば思い出す縁(よすが)になる。その程度がぼくらにはちょうど良いのではないか。

 全てをクリアに覚えていることが良いことなのかどうか。
 記憶の中の靄(もや)のかかり具合でぼくらは時間軸を認識しているのかもしれない。全てを克明に記憶し続ければ、過去と現在の境が分からなくなってしまう。

 ってのは、物忘れの激しい自分への言い訳なんだろうね。

 物忘れがひどいからこそライフログを記録した方が良いのかもしれないが、ボケてしまった頃に家族にそれを読まれて、「あのジジイ、こんなことを考えてたのか」と哄笑されるのもシャクだしなあ。

 そんなことを考えている年の瀬であるが、皆様方におかれては、良いお年をお迎え下さい。

 

 

 

 

 

 

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