« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月

2015年4月30日 (木)

下賀茂神社

 十時過ぎにぶらりと出立し、京阪特急の終着駅、出町柳に付いたのは十二時五十七分だった。

 ピーカンで日差しが暑い。

 下賀茂神社を訪れたのはもう四十年ほども前になろうか。よほど暇をもてあましていたのだろう、何となく鴨川を上流へ辿りながら歩いて行ってみたら下賀茂神社があった。それだけの記憶しかない。

 目指すべき神社が何処にあるのか事前に確かめもせず、まあ京阪の終点から鴨川沿いに歩いて行けばよいのであろうと、まことにいい加減な出立ではあった。

 四十年前は三条が終着駅だった京阪特急、今は出町柳まで通じている。
 出町柳で降りるのは初めてである。下賀茂神社はあっけらかんとすぐ近くだった。

 些か拍子抜けしながら参道を歩いて行くと、「世界文化遺産」と彫り込まれた石がどや顔で鎮座している。

Photo_2

 興醒め。

 ガイジン観光客を呼びたいのなら、いっそ”world cultural heritage”と横文字で書いておけば良かろうに。

 やたらと学生の団体が多い。自分も学生時代は傍若無人に騒ぎながら道を歩いていたくせにそれを棚に置き、やかましい奴らだと内心辟易していたら、和服姿の女性がちらほら歩いている。こういう景色に女性の和服はよく似合う。
Photo_5

 下鴨神社と上賀茂神社。何故に「下・上」二つに分かれているのか、昔から気には掛かっていたがこれまでついぞ調べたこともなかった。

 元祖である賀茂(加茂)神社は、キリスト誕生以前から存在していたようだ。
 祭りの日に武器を持った面々が大勢参拝し弓を引くような輩も多かったので、不穏に感じた朝廷が神社の分割を命じたという。下鴨神社の流鏑馬奉納はその名残なのだろう。

 分社した後、今では下鴨の方が格上になり、天皇参拝も先ず下鴨神社、それから上賀茂神社という順になっている。

 同じ「カモ」なのに下・上で「鴨」・「賀茂」と字が異なるのに大した意味はない。下/上カモ神社、どちらも通称で、正式名称はそれぞれ『賀茂御祖神社』、『賀茂別雷神社』。

 下鴨神社に祀られているのは賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)。系譜を当たってみたが、ややこしくてよく分からん。要するに古代の京都を開いた神様らしい。

 参道脇に幣を巻かれた御神木があった。

 本殿直前の大鳥居の前に手水場がある。高校生らしき一群が「左手から洗うんだよ」などと互いに言っているのが聞こえ、おぉ、こいつらも作法を教えてもらっているのかと、ちょっと感心した。
Photo_4

 本殿の前に、生まれ年別の社がある。厄除け祈願用らしい。基本的に一干支一社なのだが、わしの巳年は未との同居社であった。やっぱ「一戸建て」の方がええよなあと、ちょっと残念。

Photo_3

 本殿では、式年遷宮記念ということで昇殿参拝させてもらえた。これは実に貴重な体験。

Photo

 (一般人は撮影禁止なんで、上の写真はasahi digitalより無断転載、叱られたらすぐに削除します。出所はhttp://www.asahi.com/articles/ASH4Y00KPH4XPLZB021.html

 先ず東の座で二礼二拍一礼。次に西の座で同様に挨拶を終わったところで、「サングラス、落としてはりません?」と女性から声を掛けられた。彼女の指差す東の座に、一週間前に買ったばかりのサングラスが転がっている。胸に引っかけていたのが、「礼」の時に落ちたらしい。

 こりゃいかんと「ありがとう、すんません」と礼を述べつつ慌ててサングラスを拾いに走る。

 そんな体たらくだから、ぼくは今に至るまでついにドン・ファンになれなかった。
 ここで悠揚迫らず、「ああ、これはどうもおおきに。お礼にお蕎麦でもどうですか」みたいに返せりゃ、そこから先の展開もあるだろうに。

Photo_6

 御手洗川の輪橋(そりはし)が美しい。

Photo_7

 透き通る水の流れに乗って川を下ってくる二羽の鴨が、まことに絵になっていた。

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月21日 (火)

上腕骨近位端骨折 リハビリ 2

 一月下旬に骨折して早三ヶ月。腕吊りは一ヶ月半弱で取れたものの、その後のリハビリが遅々として進まない。

 左腕を伸ばして前方方向にはそこそこ上がってくれるのだが、横方向からだと90度くらいがやっと。(リハビリ師の測定では120度ということになってるけど)

 棘上筋とか棘下筋等々のインナー・マッスルが弱り切っている上に、関節包(関節囊)が萎縮、加えて体側の筋肉が縮こまってしまってるらしい。

 解剖学用語を並べたけど、こんな身になって初めてお目に掛かった単語ばかり。できることなら一生無縁でいたかったんですけどねー (´ω`)‥

 大胸筋や三角筋みたいなワシらが日常生活で明らかに意識のできる筋肉の内側にある裏方さんがインナーマッスル。

 特に肩関節みたいな微妙な動きを司る部位では、大勢のインナー・マッスルさんがそれぞれの角度に応じて連携して働いて下さってるということを、このたび初めて知った。

 そんなこと、ついぞ意識したことはなかったけど、これまた、一生無意識でいられる環境に安住していられるなら、その方が吉。

 とは言いながら・・・

 ぼくは還暦を過ぎたばかりの歳。その体で、僅か一ヶ月強関節を固定しただけで通常に復活するのにこんなにも時間が掛かる。

 だったら、「寝たきり老人」てのは悲惨なことになるのではないかとリハビリ師に問うてみたら、彼は声を潜めて言った。

 「老人が歩けなくなると、一週間くらいで呆け始めます」

 彼の言う「老人」が何歳から始まる範囲なのかは敢えて問わなかった。ぼくが問うたのは、年寄りが一旦関節が動かせんようになったら、その後回復にはとんでもなく長い期間が必要なのではないかということだった。

 けど、それに対していきなりこんな答えが返ってきたのは、そういう実例を彼は多数見てきているということなんだろう。

 歳をとることによる身体修復力の減衰というものをしみじみと感じる。

 

 上腕骨近位端骨折

 上腕骨近位端骨折 (続き)

 上腕骨近位端骨折 続きの続き

 上腕骨近位端骨折 (4)

 上腕骨近位端骨折 (5)

 上腕骨近位端骨折 その後

 長期間の片腕固定

 上腕骨近位端骨折 リハビリ

 上腕骨近位端骨折 リハビリ 2

 上腕骨近位端骨折 リハビリ 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月17日 (金)

<映画>オールウェイズ 三丁目の夕日

 唐突にyoutubeで見てしもた。

 どうしようもない大根演技ばかり。

 なのに、

 見ながら途中で何度も泣いてしもうた。

 昭和三十年代、自分が育った時代背景に、いろんなことが折り重なって見えてきて…

 こういう作り方、反則や。

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 7日 (火)

 入学式までは――と風神・雷神公が自粛していてくれたのかどうかは定かでないが、桜が満開になってからこっち、さしたる雨風もなし。

 今朝の出勤時、桜並木沿いの道に、夜明けに積もった粉雪かとと見紛うように花弁が降り積もっている。 指に唾を付けてかざしてみてもそれと分からぬほどの風。花びらが時を置いて一枚、また一枚と舞い降りてくる、絶品とも称すべき風景だった。

 ふと思い出したのが、三好達治の「甃(いし)のうへ」

あはれ花びらながれ

をみなごに花びらながれ

をみなごしめやかに語らひあゆみ

うららかの跫音空にながれ

をりふしに瞳をあげて

翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり

み寺の甍みどりにうるほひ

廂廂(ひさしひさし)に

風鐸のすがたしづかなれば

ひとりなる

わが身の影をあゆまする甃のうへ

 甃はあまり見かけない文字で、辞書にはたいてい「石畳」と語釈がある。
 三省堂全訳 漢和辞海 第十二版では、語義:井戸の内壁。また、井戸の内側に貼る瓦。シキガワラ。「井(セイシュウ)」。いしだたみ とあった。

 達治がこの文字を用いたのは、甍(いらか)を連想させたかったのだろうか。

 連用形連用の巧さは、師・萩原朔太郎の影響もあるのだろう。流れゆく時間に巻き込まれた風景を見事に映し出している。

 意味だけを子細に追っていけば、「モテない男の鬱憤を気取って表現しただけの詩やんか」と、まあ身も蓋もなく評せんこともない。

 が、また、軽やかに上から舞い散ってくる花びらと、甃から空へと上っていく足音の交差、若い娘と歴史を重ねた寺の交差、その空間を風鐸を揺らすことなくひそやかに通り過ぎていくのは「時」であろうか。それらが様々に交差する中をひとり歩いて行く。「わが身の影をあゆまする」というのだから、うららかな世間の時空間とは切り離された世界が提示されているのだと読むこともできよう。

 しかし、その「世界」も確固たるものではない。連用形のゆらぎがそれを暗示している。

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 1日 (水)

上腕骨近位端骨折 リハビリ

 「はい、左腕を前にまっすぐ伸ばしてそのまま上にあげて下さい。…もっともっと上がるはずです、もっと…ハイ、オッケー、ぎりぎり120度。次は横に伸ばして上げてみて…これで精一杯?…95度かな…」

 骨折から回復しつつある左腕を上げた、体側からの角度である。

 「三月末までに前方、側方とも左腕が120度まで上がるようにしてあげることがぼくの目標だったんですが…」と、リハビリ師は残念そうに言った。
 何故「120度」かというと、そこまで上がれば日常生活に大きな支障がないからだと言う。

 一月下旬に上腕骨近位端骨折。若者並みの一ヶ月程度で回復できるとはさすがに思っていなかった。だから一ヶ月半で取り敢えず骨の表面が繋がったのはまずまずと安心していた。が、その後の筋肉回復が捗らない。

 左腕が思うように上がらないのである。腕が自由に動かせるようになればすぐに元に戻ると信じていたのは甘かった。

 肩関節周りには小さな筋肉がたくさんある。何故たくさんあるかというと、腕の角度によって受け持つ筋肉がそれぞれ違うのである。

 たしかに、大きな筋肉一本や二本では、肩関節の複雑な動きは到底請け負えないだろう。

 小さな筋肉はしばらく動かさないと萎縮してしまう。無理な動きをしようとすると痛みが走るのは、萎縮してしまった筋肉を引き延ばそうとするからである。

 筋力自体も衰えてしまっているものだから、日常生活の不便からは相当解放されてきたとは言え、オフィスの防火扉みたいな重たいものは未だに左手で動かせない。

 特にリハビリなんて必要ないだろう、腕がある程度動くようになれば、あとは日常生活で徐々に回復していくだろうと密かに考えていたのだが、その考えを見透かすようにリハビリ師は言った。

 「ちゃんと筋肉が動くようになる前に無理して動かそうとすると、動かない筋肉の受け持つパートを他の大きな筋肉がカバーしようとして、おかしな癖が付いてしまう。だから、リハビリはきちんとやった方が良い」

 なるほど、右腕だとすんなりと回る動きでも、同じように左腕を回そうとすると広背筋や肩胛骨の辺りに妙に力が入っているのが分かる。

 回復するまでには、固定していた期間の四倍を見込まねばならないとも言われた。
 んじゃ、四ヶ月以上か…

 それでもぼくは、未だある程度は回復する見込みがあるのだから、ありがたい。

 「寝たきり」になってしまえば、ずっとずっと体は動かせないんだ。そんなことになってしまえば、筋肉の固まり具合は今のぼくの比ではないだろう。

 「寝たきり」の人はそっとしておいてはならない。そのまま放置すればますます体が萎縮し固まっていく。そうならないよう、できる限り動かしてあげなければならないようだ。

 

 

 上腕骨近位端骨折

 上腕骨近位端骨折 (続き)

 上腕骨近位端骨折 続きの続き

 上腕骨近位端骨折 (4)

 上腕骨近位端骨折 (5)

 上腕骨近位端骨折 その後

 長期間の片腕固定

 上腕骨近位端骨折 リハビリ

 上腕骨近位端骨折 リハビリ 2

 上腕骨近位端骨折 リハビリ 3

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »