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2015年6月30日 (火)

薄伽梵(ばがぼん)

薄伽梵 バガヴァットの単数・主格であるバガヴァーンの音写。訳、世尊。導き師の意味で、ここでは『大日経』の教主である仏をさす

 最近読んだ、講説・理趣経(宮坂宥勝)にこうあった。仏典は多少読んできたつもりだが、「薄伽梵(ばがぼん)」と言う語は悲しいかな、記憶にない。

 ふと、(ぼくは好きではなかったが)思い出した、「天才バカボン」という赤塚不二夫の漫画。まさが梵語から来たのではあるまいな。

 こういう話を振っても大丈夫な知人は、ぼくが棲息している地域では一人しかいない。イナカというのはまことに厄介なのである。(ソレハ、アンタノ ツキアイガ セマイ セイヤロ、ってツッコミは無しで、ね)

 会社の昼休み、懇意にしているジレッタント氏にちょっと声を掛けてみた。
 「今読んでる理趣経の中にね、薄伽梵って言葉が--」

 即座に返ってき言葉が、「あ、それ、あの『天才バカボン』の語源ですね」

 こやつ、仏教梵語まで知っているのかと仰天したら、
 「三上丈晴センセーが仰ってました」

 三上丈晴、雑誌「ムー」(←出版社は学研なんよ!)の五代目編集者。語り口に妙に説得力があるのだが、喋りながらサングラスを押し上げる仕草があるときは、ちょっと要注意かも。

 やつは続けた。「三上センセーによれば、『レレレのおじさん』はお釈迦様の弟子を・・・」

 こら! 待て!
 その「弟子」って周利槃特(チューダ・パンタカ)のことか?

 チューダ・パンタカはお釈迦様の弟子なんだけど、説法を聞いてもほとんど内容を覚えられないほど記憶力に乏しかった(ワシみたい)。
 ために、サンガ(修行僧の集団)内では軽んじられ、掃除の役目しか与えられなかったという、(おそらく)実在の人物である。

 ある日チューダは思いあまってお釈迦様に尋ねた。
 「私は世尊の大事なお話を懸命に聞いてま。せやけど、どないにもお話を覚えられませんねん。どないしたらよろしいんやろか?」

 お釈迦様は彼を見つめてやさしく答えた。

 「お前の仕事は掃除をすることだったね。ならば、掃除をするときにいつも『塵を払う』とだけ念じ続けなさい。これなら覚えられるだろう。それだけでいい」

 「それだけでいい」と仏陀からご託宣があったのである。以後チューダは四六時中『塵を払う、塵を払う』とただそればかり念じ続けた。そしてある日、彼は忽然と正悟したという。

 ぼくが最も感銘する仏教逸話の一つだ。

 それが、意味もなく「レレレのレ~」と言いながら箒をしゃっしゃっとはらい登場するキャラになったん?

 とまどうぼくに、ヤツは止めを刺した。
 「バカボンのパパが言いますよね、『これでいいのだ!』って」

 仏教のいわゆる「絶対肯定」の思想。
 「あるがままでよい」

 法華経も理趣経も絶対肯定に立脚してる。煎じ詰めれば浄土教だって実は同じ所に行き着くのだ。
 禅宗はちょっと異質に見えるだろうが、こちらは促成栽培を目指してるわけで、臨済宗なんかだと「てめー、おのれの根源がまだ分からんのか、このボケがっ!」と殴られる乱暴なやり式で弟子を導く。悟りの浅いヤツはなんでどつかれたのか よー分からんけど、よそのの和尚から「お前のお師匠さんは何と親切なことか」とコメントがあったりするわけで、実は万物の根っこが同じものだと本当に胸落ちすれば、全てのものが等価に見えてくる(らしい)から、究極的にはやっぱり同じ。(この辺りは難しいから端折ります)

 赤塚不二夫が仏教に通じていたのかどうか知る由もないが、タモリに自分のマンションを明け渡したとか、「マジメにバカになれ」と周囲に強要していたといったエピソードを目にすると、難しい理屈をこね回している有象無象より案外はるかに仏教精神を体現していた人だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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