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2015年9月

2015年9月17日 (木)

必死のパッチ

 大阪人にはお馴染みの言い回し。でも、なんでパッチやねん?

 ひっし=七、パッチ=八 の語呂合わせ
 とweblioにあった。

 「そんなバナナ~!」と疑ってたら、その次に同類の語呂合わせとして例示されてたのが

なすがまま、きゅうりがパパ

 うむ、これは笑えた。

 「そんなバナナ~」なんて今どき使うヒトがいるのかどうか知らんが、死語になってしまったギャグは死屍累々。

 アジャパー

 自分で使ってたかどうか、記憶にない。多分口にしたことはあると思う。

 当たり前田のクラッカー

 これは、「てなもんや三度笠」全盛期に学校中で大流行。

 バッチ・グー

 って、今でも使うのか?

 「ゲゲッ」 「ガビーン」

 なんてのもあった。

 よっこい庄一

 今でもたまに口をついて出るんだなー、これが・・・ ( (__|||) )

 ニャンニャンする

 使ったことも使われたこともないが、一世を風靡した。

 ナウい

 さすがにこれは、今では完全死後でしょう。

 レッツラ・ゴー

 短命だった。わりと好きだったんだけどね。

 ドロンする

 帰るの謂。自分で使った覚えはあまりない。

 う~ん、マンダム

 マンダム化粧品(丹頂)のCM。若い人らは知らんだろう。これも一世を風靡。

 あっと驚く為五郎

 もとは芸人麻雀仲間で使われてたんだとか。起源は歌舞伎か講談ではなかろうか。

 あけおめ ことよろ

 もう使うヤツおらんだろ、ぼく以外には。

 とんでもハップン

 これに、「歩いて十分」と続く。これは面白いと何度か使ってみたことはあるが、ぼくの世代でも既に通用しなかった。

 ノーテンパイラー

 オフクロがよく使ってた。元は中国語の「脳天壊了」らしい。

 「頭がパープー」「パープリン」 「頭がピーマン」

 長くは続かなかったような気がする。

 ここではコテコテの吉本ギャグは外したが、ざっと思い付いただけでもこんなにある。同世代の連中と酒飲みながら歓談すれば、もっともっと出てくるだろう。

 はやりコトバは同じ流れの中に浸っている同士ならそれなりにニュアンスを伝えられるのだろうが、テレビをはじめとしたマスコミから距離を置いている者には通じない。

 もうテレビをあまり見なくなっていたその頃、息子から「残ッ念ッ」とか、上司から「だ~めじゃん」と言われて、心底ムッとしたことがあるのを、久しぶりに思い出した。

 
 
 
 
 
 
 

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2015年9月 7日 (月)

上腕骨近位端骨折 リハビリ 3

 骨折したのは今年の1月24日だった。あれから七ヶ月以上経つ。一ヶ月半ほどで腕吊りを外しした後、週に二、三回リハビリ通いしてきた。

 最初の三~四週間は歩くのすらやっとだった。振動が傷に響くからだ。

 朝の出勤支度で、左腕が動かないようどこかに肘を置いて、右手だけでカッターシャツのボタンを留めるだけの単純な動作にとんでもなく時間を要したり、ズボンも片手だけで両足を通してベルトを締めるのは随分困難な技であると思い知った。ペットボトルの栓を開けることすら容易ではなかった。右手でキャップのスクリューを回すとき、左手でペットボトル本体を握って固定できないからだ。

 片手しか使えないということが生活の中でこんなに困難を極めるとは、思っても見なかった。そういう意味では貴重な体験をしたと言えるのだろう。

 ようやく肩を動かせるようになっても、腕を上げようとすると左肩の三角筋や上腕二頭筋が強く緊張しブルブル震え、痛みで真横にまですら上げられない状態だった。

 腕の上げ下ろしは、ぼくらが意識しているアウターマッスルではなく、実はインナーマッスルが請け負っている。
 それが衰えてしまっているので、アウターマッスルがそれを肩代わりして腕を上げようとしているから無理が出るとリハビリ師が教えてくれた。

 インナーマッスルの筋トレは、鉄アレイやバーベルを使ってやるアウターマッスルの筋トレと違い、ひたすら地味である。500mlのペットボトルに水を入れて上げ下げをひたすら続けるよう指示された。

 骨折なんて骨がくっついてしまえばあとは一、二ヶ月もすれば回復するものと高をくくっていたのだが、年齢のせいなのか左腕を固定していた期間が長すぎたせいなのか、進捗ははかばかしくなかった。

 多少の痛みがあっても我慢して腕を上げようと試みる方が良いのだろうかと尋ねると、痛いのを我慢しても良いことは何一つ無い、とリハビリ師は投げ捨てるように答えた。

 ペットボトルの上げ下げは時間が掛かるし、とても退屈だった。webでインナーマッスル筋トレ法を捜し、いろいろと我流で試してみたのだが、どうもこれがいけなかったらしい。効果のない運動で少なからず時間を無駄にしてしまったようだ。

 長らく使わないと筋肉はその動きを忘れてしまうとリハビリ師に聞き、ふと思い付いた。

 んじゃ、右腕も同時に動かせば、左側はそれを参照してくれるかもしれない

 これは的中した。

 左腕だけを上げようとすると激しく三角筋が痛むのだが、右腕を同時に上げると痛みが随分楽になる。

 これは我ながら大きな発見であった。

 六月終わり頃には日常生活にはほぼ差し障りのないところまで来てはいた。でも大きく肩を上げるとまだ若干刺すような痛みがあるので通院を続けてきた。

 これだけ長く通院していると、受付嬢も完全にぼくの名を覚えてしまっている。

 通勤帰りにクリニックへ立ち寄っていたので、ぼくの順番は大抵一番最後だった。ある日、ぼくのリハビリが終わったのが結構遅くなってしまったことがあった。

 他に患者は誰一人いない受付で支払いを済ませて出ようとすると、自動ドアが開かない。何だろ?とそのまま茫然と立ち尽くしていたら、○×さぁ~ん、ごめんなさぁ~い!!と、小柄で可愛い受付嬢が走ってきて自動ドアを手で引いて開けてくれた。もう患者は全て帰ってしまったと思い、ぼくが勘定を済ませる前に自動ドアの電源を切ってしまっていたのだ。(ここの院長夫人はとても締まり屋なのだと後日聞いた)

 リハビリ師は大阪住之江区出身で、ぼくの弟が住吉区在住だと知り、そこから随分親近感をあらわにして語りかけてくるようになった。弟が開業していると言ってみたら、さっそくwebチェックし大阪に行った際にそのクリニックの場所まで行ってみたと言う。

 そんなことで結構居心地が良く、何となく習慣化してしまったリハビリ通いではあったが、もはや目立った進展も見られない。

 あとは、関節嚢の動きをどうやって改善していくかだけである。

 本日、医師に面談。
 医師はぼくの左腕を回してみて、まだ少し音がしますね。横からの上げがまだ不十分ですが、日常生活に差し支えがないようなら一旦ここで終わりにしましょうかと言い、よくここまで回復しましたねと付け加えた。

 「よくここまで」言われるほどひどい骨折だったらしい。
 それは最初に駆け込んだ横浜のクリニックでも告げられたことではあった。手術措置と紙一重の状態だったと。

 ぼくの担当のリハビリ師は、話題が豊富で話し方ももうまい人だった。

 あそこが痛い、ここが悪いという患者の関節や筋肉の曲げ伸ばしをするこういう職業というのは、その施術の間、相手に合わせた話が上手にできるかどうかというのも資質のひとつなのだろう。

 このクリニックの受付嬢は、瞳の大きな美人系ときゃぴきゃぴギャルの可愛い娘のふたりで、彼女らに会うのも、実は楽しみのひとつではあった。(ときどき怖い顔のオバハンが座ってることもあったが)これでお別れかと思うと、実はちょっと、寂しい気がせんでもないのである。
 

 

 

 上腕骨近位端骨折

 上腕骨近位端骨折 (続き)

 上腕骨近位端骨折 続きの続き

 上腕骨近位端骨折 (4)

 上腕骨近位端骨折 (5)

 上腕骨近位端骨折 その後

 長期間の片腕固定

 上腕骨近位端骨折 リハビリ

 上腕骨近位端骨折 リハビリ 2

 上腕骨近位端骨折 リハビリ 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本一の秘境駅・小幌駅

 その小幌駅が存続の岐路に立っているという。

 北海道は室蘭本線、長万部から二つ目、トンネルを抜けたところ,、車両一両分と極端に短いプラットフォームは両側をトンネルに挟まれ、三方を山に囲われ残りの一方は急斜面を下りたところに入り江があるだけという場所に、小幌駅はある。

 東西南北まともな道のないという八方塞がりで孤立した、もはや何のためにあるか存在自体が疑われる駅なのであるが、それ故に、コアな愛好家も存在する。

 秘境駅ブールの立役者、牛山隆信氏の小幌駅紹介記事はこちら

 HPの作りも文章もあまり上手くいとは言えないのだが、訥々とした人柄がにじみ出てくる。

 「小幌駅」で検索をかければ動画はいくらでもヒットする。
 その中で、これはまずいんちゃうかなあ。  https://www.youtube.com/watch?v=UdXW8BalllM

 モロ、DVDからのアップであるから、いつまでこのリンクが有効かは保証の限りではないが、首尾よくご覧になれたならこれを機に、アナタも秘境駅ファンになってまうかも。

 首尾良く秘境駅の虜になってしまったなら、上で紹介した牛山氏のHPトップを訪れ、ランキングされた数々の秘境駅ルポを順次熟読されるが良い。

 訪問者数(PV)430万超と表示されている。
 何故にこんなものに惹かれる人々がいるのだろう。

 秘境駅の場合は儚さというより、「滅びゆくものへの郷愁」と言ったほうが適切かもしれないが、私たち日本人には、そういうものへ惹かれる心持ちがあからだろう。

 似たようなジャンルに、「廃道」というものもございます。
 こちらもなかなか捨てがたい。

 

 

 

 

 

 

 

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2015年9月 5日 (土)

もく星号墜落事件(昭和27年)

 日本航空123便が高天原山の尾根(通称、御巣鷹山)に墜落したのは1985年(昭和60年)8月12日。それから30年を経過するが、事故の真相は未だ明らかにされていない・・・と言うのはぼくを含める謀議説者であって、公には過去の修理不備ということで片が付いている。

 その昔、「もく星号墜落事件」というのがあった。

 1952年4月9日に伊豆大島に旅客機が墜落し、乗員全員が死亡したという痛ましい事故で、乗客がシートベルトをしていなかったことから、悪天候に寄るものではなかったと推測されている。

 ぼくが出生したのはその事故の翌年である。にもかかわらずこの事故のことを何となく知っているというのは何故だろう。この事故に何らかの疑惑があって、その後も幾度となく取り上げられたからではなかったか。

 当時の航空機飛行は全て米国の統制下に置かれていた。さまざまな資料の全てが開示されたわけではなく、事故の真相はこれまた闇に葬られたままだという。

 この事故は松本清張が追っかけていたらしいが、未完に終わったようだ。
 「1952年日航機撃墜事件」という本は、ぼくは未だ読んだことがない。

 

 

 

 

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2015年9月 4日 (金)

konmari(こんまり)は英語になっていた!

 以前、「「こんまり」がTimeの「世界で最も影響力のある100人」に」とご紹介した。

 その彼女の略称「こんまり」が既に英語の動詞になっているとは、びっくり仰天。

 konmaied とか、konmaring でweb検索してみれば容易にヒットする。

 ”I KonMari’ed My Apartment”と、タイトルにしてるサイトまである。

 「快挙」なんてことばを遙かに凌駕して、ただただ凄いとしか言いようがないですね。

 整理していく上で決別を決めたモノに向かって「ありがとう」とお礼を言うのが、意外なことにアメリカ人にも受け入れられてるみたい。

 ちなみに、彼女の言う「ときめく」は英語で"spark joy"。
 なるほど、ね。そういう表現方法があったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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