« じぇいあらーと | トップページ | 北朝鮮のミサイル »

2017年9月10日 (日)

蜘蛛の糸 考

 今昔物語などを下敷きにして素晴らしい作品を多数残した芥川龍之介であるから、「蜘蛛の糸」に原型があると言われても驚くには当たらないが、Paul Carusなるドイツ人がが米国で発表した"Karma: A Story of Buddhist Ethics"の中のKarmaという部分が原型らしいと聞けば多少の興味も湧いてくるし、それを翻訳して「因果の小車」という題で日本に紹介したのがあの鈴木大拙だということになればなおさらである。

 ”Karma”は45ページ程の話で、第五章(初版は章分けされていなかったらしい)のタイトルが“The Spider-Web”とそのものずばり。この章での主人公の名もKandataとあるから、これに着想を得たのだろうと考えるのは理にかなっている。

 もっとも、地獄に堕ちた魂を「葱」だとか「腐った人参」だとかで救いあげようとして不首尾に終わるという類似の話は、ロシアや南欧の伝承に幾つもあるらしい。ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の中の「一本の葱」という挿話にも類型があるようだ。

 余談だが、このKarumaをトルストイがロシアで紹介し、それが翻訳されて欧州にトルストイ作として広まったらしい。Carus は第三版の序文でわざわざ、A few translations were made without the author's knowledge.・・・A Russian translation was made by Count Lee Tolstoy, who recommends the story to his countrymen and ・・・と記している。(ぼくが確認したのは第六版)

 “The Spider-Web”は粗筋に要約してしまえば芥川の「蜘蛛の糸」と全く同じなのだが、説教臭さが背景に遠のいている芥川の方が断然良い。

 日本人なら「蜘蛛の糸」を誰もが賞賛するはずだとずーっと思い込んできたのだが、そうでもないらしいことをこの度初めて知った。

 楠山正雄なる御仁は「この童話にも,どこか西洋人の作者の書いた東洋の物語といった感じがする」と評しているそうだが、その論を読んだことがないので根拠がぼくにはよく分からない。小松左京に至っては同名のパロディがあるらしい。wikiによれば、カンダタは無事極楽に上りおおせ、お釈迦様が地獄に堕ちてしまうと言う話だそうな。

 他にも、芥川の「蜘蛛の糸」は冒頭と結末に矛盾があるという批判もあるらしいのだが、ぼくにはその論拠がよく分からない。

 一つ推測するなら、批判する人々はお釈迦様を唯一神教のGODと混同しているのではないかということ。

 “Karma”にしてもその他各国に残る伝承にしても、カンダタ的人物(魂?)は神に救いを求め、「人参」とか「葱」を差し出されるのだが、それが途中で千切れてしまってまた地獄に戻るという筋立てになっているようだ。

 対して芥川の「蜘蛛の糸」では、「御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃ」ったところ、たまたま地獄の底にカンダタという男が他の罪人と一緒に蠢いている姿が目に止まった。この男は生前蜘蛛を助けたことがあると「御思い出しになり」蜘蛛の糸を垂らすのである。

 Help me!という叫びへの呼応ではない。
 各国の伝承をつぶさに読んだわけではないが、ここが他の伝承と大きく違っている部分だと思われる。

 救いを求める声に応じて手を差し伸べながら結局「アンタの自己責任だからね」と突き放したんだと芥川の作品を読むなら、やりきれない思いは残るだろう。

(この項続く)

 

 

|

« じぇいあらーと | トップページ | 北朝鮮のミサイル »

文化・芸術・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1205954/71731709

この記事へのトラックバック一覧です: 蜘蛛の糸 考:

« じぇいあらーと | トップページ | 北朝鮮のミサイル »