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2017年10月12日 (木)

小学校の英語教育 4・・・外国語を学ぶ御利益

 世界に打って出ようという気がさらさら無くても、外国語を学ぶ理由はある。
 論理的な話し方を身に付けることができるという効果がある。

 有り体に言ってしまえば、日本語で、のほほんと深く考えることなく暮らしている限り、論理的に自らの思いを開陳する力は付きにくい。(「のほほんと深く考えることなく」という下りに注意されたし)

 いつの頃からか不覚にも知らないのだが、日本人の会話とか文芸というのは、相手が「察する」ことを基本としている。

 「言ひおほせて何かある」とか、「秘すれば花なり」なんてのは、その典型だろう。そんなん、ガイジンにはとても通じない。

 通じないのは日本語のせいではない。そういう表現形態をとるぼくら自身の思考や表現形態のせいである。日本語でもきちんと論理だって説明することはできる。できるけど、日本語を使うと、そういう習い性がどうしても出てくる。

 だから、ちょっと距離を置いた外国語での表現を試みることは思考訓練にもなる。

 亡くなった会社の先輩がこう言っていた。
 「言いたいことはいっぺん英語にしてみたらエエねん。そしたら非論理的なところがすぐ分かる」
 フランス哲学者の内田樹は、和文仏訳の「お稽古」に朝日新聞の「天声人語」を使うと書いていた。日本語で読めば何となく分かった気になる文章でも、いざフランス語に訳そうとすると、その非論理的な展開を再構築せねばならず、頭の体操になると。(ぼくの学生時代、深代惇郎の書く天声人語は世評が高かったのだが)

 そういうところに気付くには、やはり一度どっぷりと日本文化に浸ってしまい、そこからの対比で外国文化を学んでいく方が深いところまで理解できるのではないだろうか。

 ここまでぼくは、「英語」という単語をできるだけ避け、「外国語」と表記してきた。

 文科省が推進しようとしているのは、「英語」教育と言いながら、その実「米語教育」ではないのか、米国の植民地化政策ではないのかと疑いを持っているからだった。

 若年からの「英語教育」が、何事に於いても中途半端な日本人を形成してしまう方向に走ってしまわなければよいのだが。

 

 

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