書籍・雑誌

2017年6月18日 (日)

カエルの楽園 百田尚樹

 読み始めてすぐにげんなりしてしまった。
 それでも、作者は「あの」百田尚樹、出版は新潮社なのだ。最後に何か仕掛けがある筈と信じ、途中からは飛ばし飛ばしだが、一応読了した。

 で、結局、「なんじゃ、こりゃぁ」

 故郷を追われたアマガエルが平和なカエルの国ナパージュへ来た。平和の秘訣は「一・.カエルを信じろ。二・.カエルと争うな。三・.争うための力を持つな」という「三戒」と「謝りソング」 〈我々は、生まれながらに罪深きカエル/ すべての罪は、我らにあり/ さあ、今こそみんなで謝ろう〉。

 この「三戒」と「謝りソング」さえあれば平和は保たれると信じているツチガエルたちは、結局南からじわりじわりとやって来たウシガエルたちに食べられたり奴隷にされたりしてしまう。
 ちなみに「ナパージュ」はJapanの逆さ読み。

 寓話というには、ひねりも何もない。再軍備を呼びかけるプロパガンダ・・・程度にはなるのかな?

 いやいや、「あの」百田尚樹なのである。ぼくの読み方が下手であるに違いないと謙虚に読書録サイト(「読書メーター」と「メディアマーカー」)を巡ってみたら、驚いたことに賞賛の声多数。

 要するに「そんなこととは知りませんでした」と。

 さすがにベストセラー作家である。
 「永遠の零」や「海賊と呼ばれた男」に感極まって落涙したぼくらとは、また違う読者層を発掘したようだ。

 でも、もう充分稼いだでしょ。
 お願いですから、「風の中のマリア」とか「モンスター」とか「碇を上げよ:とか「幸福な生活」とか「夢を売る男」とか、こっちの方に帰ってきて下さい。お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年3月25日 (土)

松岡正剛の千夜千冊 362夜 小学生の俳句歳時記

 昔、「がっがっが鬼のげんこつ汽車がいく」という小学生の俳句に腰を抜かしたことがある。

 という冒頭部分を読んで、ぼくも腰抜かした。
 なんだ、こりゃー!ひっくり返りそうになった。 小学生の感性というのは凄い。

 以下、そのページに掲載されていた俳句の抜粋。

 まいおちる木の葉に風がまたあたる

 ねこの耳ときどきうごく虫の夜

 座禅会むねの中までせみの声

 風鈴に風がことばをおしえてる 

 ぶらんこを一人でこいでいる残暑

 なのはなが月のでんきをつけました

 転校の島に大きな天の川

 水まくらキュッキュッキュッとなる氷

 かっこうがないてどうわの森になる

 星を見る目から涼しくなってくる

 いなごとりだんだんねこになるわたし

 夏の日の国語辞典の指のあと

 墓まいり私のごせんぞセミのから

 あじさいの庭まで泣きにいきました

 話してる文字が出そうな白い息

 えんぴつが短くならない夏休み

 秋のかぜ本のページがかわってる

 ちょうど楠本憲吉の「俳句のひねり方」を読んでいたところで、そこには文語体の方が俳句らしい表現になるとあった。それには同意するんだけど、口語体で、しかも「ひねり」なしでここまで表現できるんだと感動しきり。

 完璧に完成している句もあるけど、仰天したのは「かっこうが・・・」。これ、凄い。
 「いなごとり・・・」も情景がまざまざ。

 田舎で育ったぼくはこれらの句に激しくノスタルジーを揺さぶられるのだけれど、大都会の真ん中で育ってる今どきの子どもたち、この感動を共有できるんかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年3月19日 (日)

異邦人 Albert Camus, L’étranger ふと思ったこと

 実存主義とか不条理の哲学とかいうのをぼくはよく知らないが、結局釈尊の教え「四苦八苦」に通じるのではないかなあ・・・

「四苦」=「生・老・病・死」の苦しみ。

「八苦」=上の四苦に以下の四苦を加えたもの。

 ・愛別離苦(あいべつりく)=執着してるものを永遠に手元にキープするなんてできません

 ・怨憎会苦(おんぞうえく)=出会いたくなくても、嫌な奴とか事象にはぶち当たる

 ・求不得苦(ぐふとくく)=強く欲しても手に入らないことはなんぼでもある

 ・五陰盛苦(ごおんじょうく)=結局のところ、苦しみってのは人を構成する五つの要素、即ち、色・受・想・行・識の構成に起因するのだよ。
 (色:目に見えるもの、形・物質一般、受:色を受けた感受作用、感覚、想:授を受けた心の動き、行:想を受けての心作用、識:認識、識別作用)

 これら、「何故だ!」と叫んでも人生では決して避けることのできない苦しみ。
 その救済を、唯一神教は「それはね、絶対神の思し召しなんよ」と、不可視の存在を仮定して解決しようとした。

 仏教は、そない言うても叶わんことは叶わん、せやから、あるがままに世界を見て、じたばたせず、あるがままに受け止め、自分の信念(釈尊の教え)に従って生きなされと教えた。(浄土系は唯一神教に一見酷似しているけど、根本は同じだと思う)

 キェルケゴールやカミュがこの教えを知っていたなら、どうコメントしたろうか。興味がある。

 

 

 

 

 

 

 

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2017年3月10日 (金)

異邦人 Albert Camus, L’étranger. 2

 特にこの本に深入りするつもりは決してなかったんだけど、最終部が気に掛かってしまい、随分あれこれ考えることになってしまった。

 webにヒントは転がっていないか探してみたが、日本のサイトではぼくの考え方に即した記事は見付からなかった。

 フランスのサイトには流石に論考だったものがいくつかあったが、それでも何かしら「absurde不条理」ありきの記事が目立った。

 本書の中で"absurde"という単語は一度しか出てこない。その代わり、raisonとかraisonableみたいな類似語が頻出しているのに気が付いた。通読している最中には気付かなかったのだが、absurdeの反対語であるraisonやその類似語が随所に散りばめられているのは、作者の周到な用意だったのだろう。

 日本の某サイトで目にした記事の、「J’avais eu raison,j’avais encore raison,j’avais toujours raison. (私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ)と激昂します。(avoir raison = 正しい)」という原文引用しながらの下りがきっかけだった。

 翻訳出版物の文章がどうなっているのか手元にないので分からないが、この”J’avais eu raison・・・(avoir raison)”の部分を「正しい」としているなら、それは、断言する、明らかな誤訳だ。

 ”avoir raison”とは、客観的な正しさではなく、「行為の、自分における正当性」をあらわす。
 例えば、痴呆・徘徊の介護に疲れ果てた挙げ句、将来を悲観して親を殺した年老いた子がいたとすると、その老齢の子にはそれなりのraisonがあったと了解される。

 唯一神教の世界での「正しさ」の判断基準は「God」の意志に沿うているか否かだけだ。
 この物語の主人公ムルソーが「自分は過去も今も神の意志に忠実であった」なんて言うわけないでしょ。

 だからその部分は、「ぼくには以前にもぼくなりの理由があったのだし、今でもそれが正当だと思ってる。ずっとぼくなりに理由はあったのだ」という意味合いを、もちっとブンガク的に表現してほしいところだ。

 さてこれ以上この本に関わるのも御免蒙りたいので、現時点でぼくに分かる限りで最終部の和訳を試みる。(原文ではこれひとまとめで一段落なのだが、PC仮面では読みにくいから、適当に分割する)

 司祭は出て行き、ぼくは平静に戻った。ぼくは草臥れていた。寝床に身体を投げた。眠ってしまったんだろう、目覚めた時顔に星明かりが降っていた。

 森や畑の音がここまで押し寄せてきた。夜の、土の、塩の香りがこめかみを爽やかにした。この上ない平穏な夏の穏やかさが、潮のようにぼくに流れ込んできた。

 その時、夜の終わりにサイレンが一斉に鳴り響いた。今となっては決してぼくと無縁ではない世界へ向けての出発を告げているのだ。

 随分久し振りに母さんのことを思った。母さんが何故人生の終盤に「フィアンセ」を持ったのか、やり直そうとしたのかが分かったような気がした。いくつものいのちが消えかかろうとしている養老院の周囲、まさにそこでも、夜はもの悲しい束の間の避難所だった。

 死を間近にして、母さんは解放されたと感じ、そして生きなおす準備ができていたに違いない。誰も、誰一人として母さんの死に涙してはならない。ぼくもまた新たに生きなおす準備ができたように思う。

 強い怒りがぼくから悪と呼ばれるものを追い出し、希望をすっかり消し去ってしまったかのように、様々な象徴と星々が溢れたこの夜、思いやりに溢れた世間の無理解に、ぼくは今夜初めて心を開く。

 世間はぼくと違わない、同じなんだ、結局のところ友愛に満ちていたんだと了解できた時、ぼくは、じつはずっと幸せだったし、今でもそうなんだと感得した。

 全てを終わりにして(consommer)幾ばくかでも、もうひとりぼっちではないと感じたければ、ぼくの(断頭)処刑日に大勢の見物人が集まり罵って欲しいと心から願えば、それでいいんだ。

 原文は、煩わしいだろうから最後に回す。

 ぼくは本書に関する書評とか論評をこれまで読んだことがなかった。(或いは、読んだことがあったかもしれないが、すっかり忘れてしまっていた)

 この度(webに限ってだけど)あれこれつまみ読みしてみて、「不条理哲学が」とか「シーシュポスの神話が」とか書かれているのを見てうんざりしてしまった。

 ぼくは学者ではないので、「カミュが本書で述べたかった『本当のところ』は何であるか」なんて興味ない。この本一冊で何を読みとれるのか、それが全てである。

 だから、作者であるカミュが1955年の米国出版序文に書いたことすらぼくは意に介さない。作者自らが解説するのはある意味、反則でもある。

 その序文に、「主人公は嘘をつくことを拒否した(il refuse de mentir.)」とある。確かに、勤め先のボスからパリ勤務をオファーされながら、でもぼくはここが好きだからと拒否したり、情事の相手であるマリちゃんに自分を愛してるかと聞かれ、多分愛してないと答えるような場面はあるが、それは「ウソmentir」を拒否するというより、迎合を拒むという表現の方がぼくにはしっくりくる。

 また、「ムルソーは太陽を愛した(Meursault pour moi n'est donc pas une épave, mais un homme pauvre et nu, amoureux du soleil qui ne laisse pas d'ombre.)」とあるが、一人称のこの物語に没入したなら、太陽はいつも「ぼく」を責め苛んでいるイメージがある。だからぼくは、太陽は「世間」なのだと読んできた。(それはそれで、じゃあ、「アラブ人」は何なのと更に袋小路に入って言ってしまうのだけれど)

 ついでに。

 本書冒頭の”Aujourd'hui, maman est morte.”だが、これ、現在形。以後は全て複合過去形での叙述となっている。

 ぼくは前回ここを「母さんはもう死んじゃってるってことを今日知った。」と訳したが、「母さんは既に死んでいる」と現在形で始めないといけなかったようだ。

 ここでの「今日」は、過去のある日の「今日」ではなく、いつだって「今日」なのだ。
 それから過去形へ移る時制の転換は、読者を物語の中に引きずり込む大きな役割がある。

 webのつまみ読みをしている最中、「御用司祭」という語がたびたび目に付いた。翻訳でそのように書かれているのだとすれば、これも読者の目を欺く誤訳ではなかろうか。

 「御用司祭」という語を読者はどのように受け止めるだろうか。この司祭は本気で誠心誠意ムルソーにキリスト教への回帰を促しているのだ。そして、ってか、しかも、その説得内容が裁判審理と同様、空虚。現代人への説得力無し。
 これまた作者の皮肉のあらわれだろう。

 これ以上は、ぼくのごときチンピラに深入りは禁物。

 てなことで頓首しつつ、以下、先に披露した訳の原文をば。

 Lui parti, j’ai retrouvé le calme. J’étais épuisé et je me suis jeté  sur  ma  couchette.  Je  crois  que  j’ai  dormi  parce  que  je  me  suis réveillé  avec  des  étoiles  sur  le  visage.  Des  bruits  de  campagne  montaient jusqu’à moi. Des odeurs de nuit, de terre et de sel rafraîchissaient mes tempes. La merveilleuse paix de cet été endormi entrait en moi comme une marée. À ce moment, et à la limite de la nuit, des sirènes ont hurlé. Elles annonçaient des départs pour un monde qui maintenant  m’était  à  jamais  indifférent.  Pour  la  première  fois  depuis  bien longtemps, j’ai pensé à maman. Il m’a semblé que je comprenais pour-quoi à la fin d’une vie elle avait pris un « fiancé », pourquoi elle avait joué  à  recommencer.  Là-bas,  là-bas  aussi,  autour  de  cet  asile  où  des vies s’éteignaient, le soir était comme une trêve mélancolique. Si près de  la  mort,  maman  devait  s’y  sentir  libérée  et  prête  à  tout  revivre.  Personne, personne n’avait le droit de pleurer sur elle. Et moi aussi, je me  suis  senti  prêt  à  tout  revivre.  Comme  si  cette  grande  colère m’avait purgé du mal, vidé d’espoir, devant cette nuit chargée de signes et d’étoiles, je m’ouvrais pour la première fois à la tendre indifférence du monde. De l’éprouver si pareil à moi, si fraternel en-fin,  j’ai  senti  que  j’avais  été  heureux,  et que  je  l’étais  encore.  Pour que tout soit consommé, pour que je me sente moins seul, il me restait à souhaiter qu’il y ait beaucoup de spectateurs le jour de mon exécu-tion et qu’ils m’accueillent avec des cris de haine.

 

 

 

 

 

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2017年2月24日 (金)

異邦人 Albert Camus, L’étranger.

 この本、初めて読んだ時即座に厭になったのは、日本語としておよそ了解不能な出だしのせいだった。

きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私には分からない。

って、意味分かる?
 私には分からない

 そんなことで「二度と読まない本」の筆頭がこれだったのだが、まっぺん読んでみっかという気になったのは、ロラン・バルトがその文体に言及しているという一節を内田樹の本の中で目にしたからだった。

 今回原文で読んでみて、冒頭はそういう表現だったのかと胸落ちした。

 Aujourd'hui, maman est morte.

 「今日死んだ」んじゃない。
 まんま英単語で逐次置き換えるなら、” Today, Mom is dead.”。
 mamann=母さんは「既に死んだ状態にある」のだ。

 新潮文庫の翻訳では意味が全く異なる。

 内容を少しだけ先取り補完しながら冒頭部分を解説すれば、こうなろうか。

 母さんはもう死んじゃってるってことを今日知った。亡くなったのがいつなのかなんてぼくが知るわけもない。養老院暮らしの母さんをぼくは長いこと訪問もしなかった。その養老院から電報が来た。明日母さんを埋葬する、と。

 「死んだんは今日かな~?昨日なんかな~、知らんけど」では、読了後この冒頭のフレーズを思い出してぞくりとすることはないだろう。

 初読時、「ママン」という訳語(?)に強い違和感と拒絶感に襲われたのは単に語感のせいだけだったんだけど、その直感は間違っていなかった。

 mamannって、母さん/おかあちゃん/ママ等々フランスではふつーに使われている日常語。

 それを敢えて日本人には馴染みのない「ママン」という、わけの分からんカタカナ表記で提示されれば、ぼくら日本人はこの語句に何かしら特殊な意味が込められているのだろうという勘違いへ誘導されてしまう。それでは第二部で出てくる「父」との対比まで目隠しされてしまうだろう。

 主人公ムルソーは母親をmamann ママ/母さんと甘えて親しく呼ぶのに、たった一度だけ登場する父親へは、パパではなく「父 mon père」とよそよそしい。

 ちなみに、キリスト教の世界では、信徒は司祭や牧師を「父」と呼び、司祭や牧師は教徒を「息子(たち)」と呼び習わす。独房を訪れた司祭が「なぜ私を父と呼ばないのか」とムルソーに問い掛ける場面があるので、そこは分かるだろう。

 第一部は、ムルソーと世間との価値観のズレの描写。「あの人はこう言う。そーかなー、自分はそうは思わない。でもそれならそれでもぼくはかまわないんだけど」みたいな、ムルソーから見た「世間」が淡々と描写される。

 そして「たまたま」知り合ったレモンRaymondとの交流がきっかけで「殺人」に至るわけだが・・・

 ムルソーに殺された男は徹頭徹尾”arabe(アラブ人)”という集合名詞でしか呼ばれず、固有名はついに与えられない。
 物語の舞台は、少数フランス人(カトリック)がイスラム教のアラブ人を支配していた当時のアルジェリア。

 第二部は裁判審理と独房での思索。

 法廷で検事は陪審員に向かい、「この男は母親の通夜の席でコーヒーを飲んでタバコを吸った。埋葬の翌日は喜劇映画を見に行って女と情事に耽った。しかも、母親の年齢さえ知らないのですよ」と、ひたすら外形的なことばかりを滔々と述べ、挙げ句、「こいう奴は社会に害悪を為すのです」と断じる。

 法廷審理の場でムルソーは感じ始める。
 みんなは、ぼくのことが嫌いなんだ。

 審理の最後に裁判長がムルソーに尋ねる。「何か言いたいことはあるかね」
 ムルソーは即座に答えた。
 「あります。ぼくは殺すつもりなんか無かった」
 「ほう、動機については興味がある。言ってみなさい」って、これまでの審理は何だったんだろう。

 ムルソーが「それは太陽のせいだ」と答えると、一同は笑った。

 ここを単に、わけの分からないむちゃくちゃな答弁を一同がバカにして笑った、と昔のぼくは読んでいた。

 「太陽のせい」の詳細は、第一部のラストで、それまでの淡々とした叙述の調子を一変させ、映画のカットバック風に緻密に描写されている。

 海岸で見付けた「アラブ人」の方へ向かって歩きながらムルソーは、ここで引き返さなきゃと思ってた。でも、太陽が背中を押した。そう感じた。岩陰で座っている「アラブ人」の顔は陰になっていて表情が分からない。アラブ人がナイフを抜いた。刃に太陽の光が反射した。シンバルが鳴った。

 (肝心な部分をこんな風に粗雑に要約しちゃいけないんだけど)

 この物語、「太陽」がしつこく登場する。
 光は眩しくその暑さにムルソーはいつも汗を流す。

 死刑囚独房に派遣されてきた司祭は、悔い改めて神の恩寵にすがることをしきりに勧める。信仰の道に入れば、ひょっとすると死刑判決に対する控訴が認められるかもしれない。それが受け入れられず死刑になるとしても、信仰は神の元での新しい命を約束するのだよ、と。

 ムルソーは応じる。放っといてくれないか。ぼくにはもうそんなもの必要ないんだ。明日死ぬのも何十年か後にに死ぬのも、結局死んじまうって意味では同じじゃないか。死はいつだって理屈抜き、予告無しにいきなり到来する。ぼくにはもう残された時間がない。だから、過去を懺悔してる暇なんてない、明日を考えるんだ、と。

 とエラそうに書いてきたが、実は最終部を充分読み切れていない。
 ”tendre indifférence du monde (tender/soft/loving indifference of the people/world/social)”にカミュはどんな意図を込めたのだろう。
この部分、後日考察してみた

    Et moi aussi, je me suis senti prêt à tout revivre. Comme si cette grande colère m'avait purgé du mal, vidé d'espoir, devant cette nuit chargée de signes et d'étoiles, je m'ouvrais pour la première fois à la tendre indifférence du monde. De l'éprouver si pareil à moi, si fraternel enfin, j'ai senti que j'avais été heureux, et que je l'étais encore. Pour que tout soit consommé, pour que je me sente moins seul, il me restait à souhaiter qu'il y ait beaucoup de spectateurs le jour de mon exécution et qu'ils m'accueillent avec des cris de haine.

 タイトル“L’étranger”を「異邦人」としたのは、商業的成功に慶賀申し上げはするが、適訳ではなかろう。

 “étranger”には「同じ共同体に属さない者」という感情が内包されている。
 形容詞”étrange”は「奇妙な」とか「理解できない」という謂。

 だから「よそもの」の方がよほど的確だろう。要するに、「仲間じゃない」ってこと。

 十字架や神の恩寵を主人公ムルソーは拒否する。拒否するが否定してはいない。「ぼくにはもう”ママ”は必要ない」と宣言してるだけだ。

 独房の中で、母さんがいつも繰り返していた言葉を彼は思い出す。
 「人はね結局、何事にも慣れてしまうものなんだよ」

 ムルソーは「慣れる(狎れる)」ことを拒むに至った。
 これに対し、(キリスト教)共同体は、秩序を乱す異分子は排除すべしという決定を下す。

 こう読み進めば、mamann=ママ/母さんが何を意味しているのか見えてくる。
 「ママン」という無思慮極まりないなカタカナ表記が、如何に不適切--と言うより、ぼくら日本人読者を誤読に導く罠でしかないことは明らかだろう。

 「死」への恐怖。
 キリスト教はそこへ「死後の世界」を担保してあげるよと甘言を囁く。フランスの国教であるカトリックの場合は聖母マリアを通じて。

 ママ/母さん」はいつも、「だから心配しないでいいのよ」と優しく包んでくれていた。

 だけどその「優しさ」って、何?

 「母さん」は実は熱心なキリスト教徒ではなかった。だけど、死んだら宗教儀式に則って葬って欲しいと養老院に頼んでいる。
 第一部で出てくるこのエピソードは、形骸化してしまっている「宗教」へのカミュの痛烈な皮肉だろう。

 みんなだってとうに疑い始めてるだろ?死後の世界のことは知らないけど、そのためにいろんな束縛を受けて不自由に生きるより、今生きているその未来を自分で設計・構築して、そこへ向かって生きていく方が先決なんじゃない?

 というのが、本書の主題だろうとぼくは読んでいるのだが、肝心な最終部が不明。

 ついでだけど
 主人公ムルソー Meursault という名、前半のmeursは、mourir=死ぬ の一人称を想起させる。後半のault/saultに合致する語はないが、「ソ」という発音は saut=ジャンプなんだろか。








(以下はぼくのランダムな私的メモの残骸。よそさまには不要。保存場所がないからここに置いておくだけ)

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 カミュの「異邦人」を四十数年ぶりに読んでみた。

 内田樹が「街場の文体論」の中で、ロラン・バルトが「乾いた文体」の理想形のひとつが”L’ÉTRANGER”だと言ったてのを読んでちょっと気を惹かれたから、原文で読んでみよっかなという気になったという、ま、ミーハー感覚だっただけなんだけど。

 初めて読んだのは高校生の時分。ページを開いた冒頭部分の「ママン」という訳語にいきなり激しい嫌悪感を催したことを覚えている。

 手元にその本がないからうろ覚えなのだが、注釈で「ママンてのはフランスの幼児語で、主人公がいい年をしながら甘ったれていることを表している」みたいなのが付いていたように思う。だったら「ママ」と書きゃいいじゃないか(大阪限定editionなら「おかあちゃん」でもええかな)。

 そんなことで、不愉快な気持ちを抱きつつ体力のみで読み進めたものだから、内容はさっぱり理解できなかった。

 理解できなかったのはその不愉快さの故だけではなく、「フランスの植民地アルジェリア」という視点を持っていなかったせいも、ある。

 ブンガクシャが「解釈のポイント」をあーだこうだと賢しらに述べ立てるのをぼくは好まない。一つの作品は独立したものであり、それ自体単体によって意味立たせられないのならば、そりゃ失敗作と言うべきだろう。

 でも、1942年に書かれたこの本を理解するのに、アルジェリアがどういう立場であったかは知っておかないと分かりにくいのではなかろうか。ぼくら日本人にとっては「意識して知らなければならない」ことだけど、本来の読者の対象であるフランス人にとっては「常識」が背景なんだから。

 「植民地支配」はある程度知識で補えるかもしれないが、カトリックとイスラム教の溝というものは、ぼくら日本人にはピンと来ない。(注意を喚起されれば、なるほどね、とは言えるんだが)

 冒頭部分の

Aujourd'hui, maman est morte.

 これを「今日、ママ(ン)が死んだ」という訳は、少しばかりニュアンスが違う。
 単語ごと英語に置き換えれば、”Today, Mammy is dead”であって、"Mammy (has) died"ではない。

 ママが死んだ。今日、養老院から電報が来た。「ゴボドウセイキョ。マイソウハミョウニチ。オクヤミヲ」。文面はそれだけだった。ママが死んだのは今日なのか昨日なのかは、これじゃ分からない。

 とでも訳せば幾分原文に即しているだろう。でも、これじゃインパクトがないってことは認める。

 で、おふくろさん埋葬のために二日間の休暇をムルソーは上司に申し出るが、上司はいい顔をしなかった・・・という下りはさりげなく書かれているが、これ、結構重要部分だと思う。

 養老院でママの死に顔を見るかと促され、「いや、いい」と応え、ママの埋葬の翌日に情事にふけるムルソーを「非人間的」との見方もあるようだが、それは違う。

(ママの遺体がある)養老院は村から2キロ先。徒歩で行った。ぼくはママにすぐ会いたかった。けど、養老院に着くと、まず院長に面会しなければならないと言われ、暫く待たされた。

L'asile est à deux kilomètres du village. J'ai fait le chemin à pied. J'ai voulu voir maman tout de suite. Mais le concierge m'a dit qu'il fallait que je rencontre le directeur. Comme il était occupé, j'ai attendu un peu.

 その養老院の中で小さな会話。

「母上は宗教儀式に則って葬られることを望むといつも周りの人たちに言っておられたように聞いていたので、そのように取りはからいました」と言った彼に、ぼくは謝辞を述べた。
votre mère a, paraît-il, exprimé souvent à ses compagnons le désir d'être enterrée religieusement. J'ai pris sur moi, de faire le nécessaire. Mais je voulais vous en informer. » Je l'ai remercié.

ママは無神論者ではなかったけど、宗教に全く関心を持ってはいなかった。
Maman, sans être athée, n'avait jamais pensé de son vivant à la religion

 この下りは、日本人にも完璧に理解できるハズ。

 通夜の最中ムルソーは十字架を突き付けられ、「これを信じるか」と詰め寄られる。
 否定はせんけど、ぼくにはちょっと、ね、とムルソーは強くかわす。

 この時点で彼は”l'étranger=よそもの、共同体から排除されるべき者”と断定された。

 ママはいつも言っていた。

自分が知らない事象に出会うと、人は過剰に反応する。
On se fait toujours des idées exagérées de ce qu'on ne connaît pas.

 

 主人公、ムルソーに殺された相手は徹頭徹尾”l'Arabe(アラブ人)”としか表現されていないのだ。

 主人公の名、「ムルソー」の綴りは”Meursault”。綴りの前半から直感的に想起されるのは、meurt(死)。 

=========

    Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas. J'ai reçu un télégramme de l'asile : «Mère décédée. Enterrement demain. Sentiments distingués.» Cela ne veut rien dire. C'était peut être hier.

英訳すればこうなるのかな?
    Today, Mom is dead. Or maybe yesterday, I don’t know. I received a telegram from the asylum: "Mother deceased(died). Burial tomorrow. Condolences.” No meaning in it. Maybe it was yesterday.

 第一部、二部それぞれで、ムルソーは「神の恩寵」への信仰を強要され、「拒否」する。「神」を否定する無視論者というわけではない。自分に「神」は無用だと告げているだけだ。
 殺人に対する法廷審理で、被告ムルソーを告発する検察官の弁論の中の「いいですか、この男は自分の母親の年齢さえ知らないんですよ」という下りは、読了後にようやく意味が分かった。
 最たる当事者であるはずのムルソーは、裁判審理の中で置き去りにされる。置き去りにされながらも、彼らのいうこともあながち間違いというわけでもないんだけどと思ったりもする。

 検事の長広舌の後、裁判長が被告ムルソーに尋ねる。何か言いたいことがあるか?
 ムルソーは答えた。「太陽のせいだ」
    Quand le procureur s'est rassis, il y a eu un moment de silence assez long. Moi, j'étais étourdi de chaleur et d'étonnement. Le président a toussé un peu et sur un ton très bas, il m'a demandé si je n'avais rien à ajouter. Je me suis levé et comme j'avais envie de parler, j'ai dit, un peu  au hasard d'ailleurs, que je n'avais pas eu l'intention de tuer l'Arabe. Le président a répondu que c'était une affirmation, que jusqu'ici il saisissait mal mon système de défense et qu'il serait heureux, avant d'entendre mon avocat, de me faire préciser les motifs qui avaient inspiré mon acte. J'ai dit rapidement, en mêlant un peu les mots et en me rendant compte de mon ridicule, que c'était à cause du soleil.

 「太陽」はこの物語の全てを包んでいる。ムルソーはいつもその「暑さ」に責め苛まれ、汗が流れる。
 「太陽」が故に発砲した経緯は第一章の終わりに克明に描かれている。

 そのアラブ(人)を見て、引き返さなきゃと思った。でも、太陽がぼくの背を押した。太陽の熱はぼくの顔を焼いた。睫に汗が溜まっていた。ママを葬ったあの日と同じ太陽だった。その熱は血管を滾らせた。暑さに耐えきれずぼくは歩を進めたそのとき、アラブ(人)は座ったままの姿勢で短剣を抜いた。抜かれた短剣は太陽の光の中にあった。暑さで流れる汗が海の塩と混ざり、ぼくの視界を遮った。太陽がシンバルを打ち鳴らした。

    J'ai pensé que je n'avais qu'un demi-tour à faire et ce serait fini. Mais toute une plage vibrante de soleil se pressait derrière moi. J'ai  fait  quelques  pas  vers  la  source.  L'Arabe  n'a  pas  bougé.  Malgré tout, il était encore assez loin. Peut-être à cause des ombres sur son visage, il avait l'air de rire. J'ai attendu. La brûlure du soleil gagnait mes joues et j'ai senti des gouttes de sueur s'amasser dans mes sourcils.  C'était  le  même  soleil  que  le  jour  où  j'avais  enterré  maman  et, comme alors, le front surtout me faisait mal et toutes ses veines battaient ensemble sous la peau. À cause de cette brûlure que je ne pouvais  plus  supporter,  j'ai  fait  un  mouvement  en  avant.  Je  savais  que c'était stupide, que je ne me débarrasserais pas du soleil en me déplaçant d'un pas. Mais j'ai fait un pas, un seul pas en avant. Et cette fois, sans se soulever, l'Arabe a tiré son couteau qu'il m'a présenté dans le soleil. La lumière a giclé sur l'acier et c'était comme une longue lame étincelante qui m'atteignait au front. Au même instant, la sueur amassée dans mes sourcils a coulé d'un coup sur les paupières et les a recouvertes d'un voile tiède et épais. Mes yeux étaient aveuglés derrière ce rideau de larmes et de sel. Je ne sentais plus que les cymbales du soleil sur mon front et, indistinctement, la glaive éclatant jailli du couteau toujours  en face de moi. Cette épée brûlante rongeait mes cils et fouillait mes yeux douloureux. C'est alors que tout a vacillé.
    La mer a charrié un souffle épais et ardent. Il m'a semblé que le ciel s'ouvrait sur toute son étendue pour laisser pleuvoir du feu.  Tout mon être s'est tendu et j'ai crispé ma main sur le revolver. La gâchette a cédé, j'ai touché le ventre poli de la crosse et c'est là, dans le bruit à la fois sec et assourdissant, que tout a commencé. J'ai secoué la sueur et le soleil. J'ai compris que j'avais détruit l'équilibre du jour, le silence exceptionnel d'une plage où j'avais été heureux. Alors, j'ai tiré encore quatre fois sur un corps inerte où les balles s'enfonçaient sans qu'il y parût. Et c'était comme quatre coups brefs que je frappais sur la porte du malheur. 

 死後の世界での再生を担保することで、キリスト教は一般人民を絶対支配下に置いてきた。それってヘンじゃね?と疑問を呈しようものなら「よそもの」になってしまう。
 死刑を宣告された後、死刑囚独房の中でムルソーは思う。犯した罪への懺悔の言葉もないと裁判で非難されたけど、ぼくには後悔する暇なんかない、明日を考えて生きるんだからと。

 死刑判決に対する上告は棄却された。でも仮に上告が受け入れられたとしても、人は遅かれ早かれ結局死ぬ定めにある。「死」とは、どうあがいても理屈無しに突き付けられるものじゃないか。

 その不安を打ち消すために生まれたのがいわゆる「実存主義」なのだろうが、そこまで語る資格はぼくにはない。

 本書を読む上で見逃しそうなトリビアルなこと。

 主人公ムルソーを包んでいたmaman(ママ)は、実は熱心なカトリックではなかった。なのに、死ぬ間際になって「宗教儀式に則って葬って欲しい」と養老院側に頼んでいる。
 ムルソーは「ママ」がいつも繰り返していた言葉を独房の中で思い出す。「人はね結局、何事にも慣れてしまうものなんだよ」
    C'était d'ailleurs une idée de maman, et elle le répétait souvent, qu'on finissait par s'habituer à tout.
 父親のことが語られるのは一ヶ所だけで、 “mon père(父) ”と書かれている。「パパ」じゃない。その「父」の記憶といえば、は物好きにも断頭処刑見物に行き、後刻吐き気を催したことだけだった。死刑囚独房の中で派遣司祭が「何故あなたはわたしを『父』と呼ばないのか」と問う場面の伏線である。

 広津和郎と中村光夫の間で「異邦人論争」というのがあったらしいのだが、全容を知るに至らない。

 白人とアラブ人、キリスト教(カトリック)とイスラム教という、互いに融合し合うことなどないフランス植民地時代のアルジェリア。この作品の中でアラブ人に固有名詞は与えられず、常に総称としての“arabe(アラブ人)”とだけ記述される。

 母親の死を悼む風にも見えないムルソーだが、彼は80キロの長距離バスから下りて、「早くかあさんに会いたい」からと、養老院まで二時間かけて歩いている。
 なのに、遺体安置室で「おふくろさんの死に顔を見るかい?」と声を掛けられて「いや、いい」と断る。情事の相方マリちゃんから、「ね、私のこと愛してる?」と聞かれ、「多分愛してないと思う」と応えながら、「結婚しようよ」と言われ、「ぼくにはその気はないけど、君が望むんなら、それでもいいよ」と、一般人との感覚の「ズレ」の描写が数々出てくる。
 勤め先で、母親が死んだ二日休暇を欲しいと言ったらボスは不機嫌そうだった。拒否はありえないだろうけど、それでも自分の言い方が悪かったのかなとムルソーはボスの感情を忖度する姿勢を持っている。なのに、別の日にボスから「パリ勤務できるようにしてやろう。どうだい、嬉しいだろう?」と声を掛けられて、「いや、べつに、ぼく、この土地が気に入ってますから」とにべもなく返してしまう。

 その「ズレ」の最たるものが、「神の恩寵を信ずるか」という問いに対する姿勢だった。
 養老院で院長から十字架を突き付けられた時のこの問いへのムルソーの答えは冷淡なものだった。第二部で、有罪が確定し独房に入っているムルソーの元を訪れる司祭が来世を神に祈れとしきりに勧めるのに、彼はとうとう怒ってしまう。

Albert Camus, L’étranger.  (1942)

ラスト
    Et moi aussi, je me suis senti prêt à tout revivre. Comme si cette grande colère m'avait purgé du mal, vidé d'espoir, devant cette nuit chargée de signes et d'étoiles, je m'ouvrais pour la première fois à la tendre indifférence du monde. De l'éprouver si pareil à moi, si fraternel enfin, j'ai senti que j'avais été heureux, et que je l'étais encore. Pour que tout soit consommé, pour que je me sente moins seul, il me restait à souhaiter qu'il y ait beaucoup de spectateurs le jour de mon exécution et qu'ils m'accueillent avec des cris de haine.


pied-noir (wiki https://fr.wikipedia.org/wiki/Pieds-noirs)
Le nom « pieds-noirs » désigne de manière familière les Français originaires d'Algérie et, par extension, les Français de souche européenne installés en Afrique française du Nord jusqu'à l'indépendance, c'est-à-dire :

    jusqu'en mars 1956, pour les protectorats français de Tunisie et du Maroc ;
    jusqu'en juillet 1962 pour l'Algérie française et ceux restés en Algérie après l’indépendance1,2

Définitions de « pied-noir »
Vue de la colonie de La Calle, chef-lieu de la Compagnie royale d'Afrique sur la côte de la Barbarie, 1788.

Deux définitions qui s'opposent de « pied-noir » indiquent assez bien l'imprécision de ce terme.

D'après le Larousse, « pied-noir » (et « pieds-noirs ») est un nom et un adjectif qui signifie

    « Français d'origine européenne installé en Afrique du Nord jusqu'à l'époque de l'indépendance.3 »

D'après le Grand Robert de la langue française, « pied-noir » est un nom masculin, dont le sens moderne, apparu vers 1955, est :

    « Français vivant en Algérie (et considérant l'Algérie française comme sa patrie) ; puis Français originaire d'Algérie. Les pieds-noirs rapatriés - Au féminin Une pied-noir (rare : Une pied-noire)4. »

Le seul groupe commun aux deux définitions est celui des Français d'Algérie descendants d'émigrants européens, et « rapatriés » dans les années 1960.

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2014年12月 6日 (土)

「受験脳の作り方」 池谷裕二

 つい二週間前に『高校生の勉強法』を先に読んでいたが、十年の歳月を経て学説的に間違っていた部分もあるので加筆改訂版を出したとのこと。
 池谷裕二のファンなので読んでみた。が、 『高校生の勉強法』の読後メモと照らし合わせてみて大筋で違っているところはないようだから、どちらを読んでもさほど間違いはないかろうと思う。
 この人の書いた本には、ホント無駄がないなあと、毎回しみじみ思う。

 以下はweb読書録に投稿した記事の転載。

 =================

 「記憶とは、神経回路のダイナミクスをアルゴリズムとして、シナプスの重みの空観に、外界の時空間情報を写し取ることによって内部表現が獲得されることである」

 と初っ端に出てくるが、原初の記憶とは何のためにあったのか。それは生命保持のためであった。
 記憶を司っているのは脳内の海馬である。この部位は本来生存に必要な情報のみをフィルタリングして大脳皮質に蓄え、必要に応じてその記憶を引き出すという役割を担っている。

 生存環境は常に変化している。見聞きした事柄全てを正確無比に記憶しておく必要はない。重要なのは「似たような」事態に直面したときにどう反応すればよいかという応用力である。

 だから脳は「捨てる」ことを優先する。入力された情報を次々に捨てながら、繰り返し入ってくる情報に対しては、これは重要らしいと見なし、別して長期保存庫の大脳皮質に蓄える。

 つまり、海馬を如何に活性化させるかが記憶力を高めるキーとなる。

 一時期蓄えられた情報は一ヶ月間ほどかけて吟味されながら整理整頓されてゆく。その過程では、入力だけでなく、どれほど出力されたかも重要な判定基準となる。

 生存に於ける重要情報は一般に、感情を含む五感と共に蓄積される。「何でも良いから最も記憶に残っているものを挙げよ」と問われ、数学の公式や化学式を思い出す人はいない。大抵旅行などの個人的な体験記憶を挙げる。「体験」による記憶は五感全てを通じての記憶であるが故に、強い記憶となっているからだ。

 だから何かを覚えようとするとき、五感を動員して想像をフルに働かせるのが効果的。

 神経シナプスの伝達経路は「0/1」のデジタルではなく、アナログ伝達、即ち「重み付け」を行っている。そこに曖昧さが発生するので、脳にとっては記憶の中から正解を導くための試行錯誤が必要になる。

 その試行錯誤にとって最も重要なのは「知識記憶」よりも「方法記憶」

 方法記憶とは、赤ちゃんがコップの握り方や歩き方を覚えるような、ある意味最も原始的な段階の「手続きの記憶」。

 進化に従い次に「知識記憶」のステージに入る。これはいわば「丸暗記」の力の時代で、およそ中学生時代半ばまで継続する。

 その後は「関係性」を重視する「経験記憶」へとヒトは進化する。歳をとるに従って「あの頃のように覚えられない」と嘆くようになるが、この過程を理解していれば当然の現象なのである。

 学習の過程で、一つの分野に精通すると他の分野での理解が容易になるという現象が起きる。「学習の転移」と呼ばれるもので、この「転移」が生じると、新たな分野の理解が早まるにとどまらず、その基礎となった元の学習の理解が深まり、更にはそれらの相互関係性の理解までもが深まるという「べき乗」効果が出現する。

 勉学を続けていくとある日突然ぱっと視野が開けるような感覚に陥るのは、この「べき乗効果」によるもので、これは単なる知識(物覚え)の集積によるものではなく、実はそれまでに習得した「理解の手順」=「方法記憶」の積み重ねに拠るものである。

 方法記憶は天才的な能力を作り上げる魔法の記憶と言って良い。ものごとの見通しを良くして、総合的な理解力、判断力、応用力を高め、センスや直感の土台にもなるのである。

目次
第1章 記憶の正体を見る
1-1 能力はテストでしか判定できないのか
1-2 神経細胞が作り出す脳
1-3 覚えるvs忘れる
1-4 海馬について知ろう
1-5 がんばれ海馬
第2章 脳のうまいダマし方
2-1 誰だって忘れる
2-2 よい勉強? 悪い勉強?
2-3 繰り返しの効果
2-4 がむしゃらだけでは報われない
2-5 脳は出力を重要視する
第3章 海馬とLTP
3-1 記憶の鍵をにぎるLTP
3-2 童心こそ成績向上の栄養素
3-3 思い出という記憶の正体
3-4 感動的学習法
3-5 ライオン法
第4章 睡眠の不思議
4-1 眠ることも勉強のうち
4-2 夢は学力を養う
4-3 睡眠と記憶の不思議な関係
4-4 勉強は毎日コツコツと
4-5 寝る前は記憶のゴールデンアワー
4-6 一日の効果的な使い方案
第5章 ファジーな脳
5-1 記憶の本質
5-2 失敗にめげない前向きな姿勢が大切
5-3 コンピュータと脳の違いとは
5-4 自分の学力を客観的に評価しよう
5-5 記憶はもともと曖昧なもの
5-6 失敗したら後悔ではなく反省をしよう
5-7 長期的な計画をもって勉強しよう
5-8 まずは得意科目を伸ばそう
第6章 天才を作る記憶のしくみ
6-1 記憶の方法を変えよう
6-2 想像することが大切
6-3 覚えたことは人に説明してみよう
6-4 声に出して覚えよう
6-5 記憶の種類と年齢の関係を理解しよう
6-6 勉強方法を変えなければいけない時期がある
6-7 方法記憶という魔法の力
6-8 ふくらみのある記憶方法
6-9 なぜ努力の継続が必要なのか

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2014年11月27日 (木)

糞尿が肥料になるって思い付いたのは誰だろう?

 江戸の町が超リサイクル社会=超エコ社会だったことはよく知られている。

 主たるリサイクルの一つが、人糞を農業用の肥料に使っていたということ。

 ぼくが子どもの頃は水洗便所なんて存在せず、須(すべから)く「ぽっとん便所」だったのだが、農村地帯では、そこに溜め込まれた人糞を金を払って回収する人たちがまだいた。

 人間は食べたものを全て消化するわけではない。一説によれば、食べたものの栄養素の吸収率は三割ほどだとか。その数字が正しいかどうかはさておき、せっかく口にした栄養素の過半がそのまま体外に排泄されているのであろうなあと、特に下痢した後は何となく思われる。

 糞は臭い。その悪臭漂う糞を肥料として使おうと最初に思い付いたのはいったいどういう生い立ちのどういう人物だったのだろう。

 ヨーロッパの連中ではなさそうだ。ローマ時代は水洗トイレがあったらしいが、中生から近世に掛けての欧州民族は野蛮そのもので、糞もゴミも全て道路に放り捨てていた。
 メソポタミアやモヘンジョダロにも水洗トイレの設備があったというから、太古のエジプトも多分同様だったのではないだろうか。大昔の支那ではどうだったんだろう。

 肥担桶(こえたご)担ぎは、大和民族の大いなる発見発明であったのか???

 人糞を肥料に使うのはエコではあるが、反面寄生虫が蔓延する土壌でもあった。わしら小学生の時代は「虫下し」てなものを定期的に飲まされていた。回虫やギョウ虫を腹に飼っている奴らは珍しいものでもなかった。当時の「検便」は、大腸癌の早期発見ではなく、寄生虫の卵がないか調べるものだった。

 そういう寄生虫を忌み嫌うのは感情的に当然なんだけど、藤田 紘一郎という方は、寄生虫がいてこそ腸内が整えられると宣(のたま)う。(過去記事「脳はバカ、腸はかしこい」)
 そない言われても、気色悪いものは気色悪い。

 ふと考えてみるに、あの当時は土から直に生える野菜類は、あまりナマでは食べていなかったような気がする。そは言っても、トンカツに生キャベツの千切りは随分昔から定番だったような気もする。

 それでも少なくとも、今どきの「ダイエットお嬢様」方御用達の野菜サラダみたいな食べ方はなかった。

 ところで、なんぼリサイクルで人糞を肥料に使うとは言え、回収してきたものをいきなり「まんま」で野菜にぶっかけるわけではない。

 そこにはもう一つ智慧があった。

 当時の畑には「肥溜め(野壺)」と呼ばれる大きな甕(かめ)が地中に埋められていて、そこでしばらくの間発酵させるという手順が踏まれていたのである。

 地中に埋められた甕の口は地表に広く開いていたため、畑を走り回る子どもがそこに落ちてしまうという悲喜劇がしばしば発生したことは否めないが。

 肥溜めが地中に埋められていたのは、おそらく発行させる環境温度をできるだけ一定に保つという智慧からであったのだろう。

 そんなことをつらつら考えていると、あの臭い排泄物を有効活用すること、更にそれは発酵させた後の方が利用価値が高いという発見をした発祥の地がどこであったのか、俄然興味が湧いてくるではないか。

 残念ながら今のところ、その疑問に対する回答を見出し得ないでいる。

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2014年4月 4日 (金)

浅田真央って、なんとのー、美空ひばりに似てない?

 あ、タイトルだけで、この記事全てです。

 ふとそう思っただけ。

 マイクロ・ブログみたいでスマン。

 書き出すと長くなるので、自粛。

 

 

 

 

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2014年2月15日 (土)

スパム

 最近コメント投稿へのスパムが目に付くようになった。内容はいつも英文で、これまであまり気にせず黙々と消去していた。

 今日もまた届いた。ふと素性をチェックしてみる気になった。発信元はどうせロシア系なんだろうと思ってたら、日本国内のソフトバンク系プロバイダ経由のようだ。

 ウイルスに感染した誰かのパソコンが踏み台にされているのだろう。

 4月始めにはWindows XPのサポートが終了する。スマホがあるからPC買い換えなくてもいいやという連中も多いことだろう。四月以降はスパムが増えるのかなあ。

 コメント投稿欄に画像文字認識ステップを追加した。

 

 

 

 

 

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2014年1月28日 (火)

競走馬の名前

 昼食後の会社の休憩室で、「ご存じですか?」と話しかけられた。
 競走馬って、信じられないくらいオモロい名がありますねん、と。

 

 オキテスグメシ

 さすがに「ウソやろー!」とあとからこっそり裏取りしたら、ちゃんとおるんですな、そーゆー名の馬が。

 

 ネルトスグアサという馬もいて、この二頭、同じオーナー。

 何考えとんねん!

 しかも、と彼は続ける。

 

 パクパクモグモグっちゅーのもいてまっせ。

 笑い転げると、畳み掛けるように、
 「これ、好きですねん」

 

 アシタハシマウマ。 

 あかん、もうついていけん。これは吉本を凌駕している。

 が、ここまで来ると、そらぁもう俄然興味を持ちましたな。自分でも調べてみた。

 ちょっと首を捻ったのが、「サヴァーレ」。
 フランス語で「うまくいく」という意味だという。

 あ、”Ça va aller  (It goes well)” 、か。

 これはまともなクチ。

 キストゥヘブン

 リップヴァンウィンクル

 マツリダゴッホ

 ウォーニングムスメ

 アスキット

 ウソ

 オバサンオバサン

 カイテキセレブ

 カオパス

 ガンバッテミル

 クマチャン

 ウンノツキ

 タンスチョキン

 キヲウエタオトコ

 ソウデッセ

 こんなの見てると、「ワラワセテ」とか、「コレデイイノダ」なんて、もう凡庸に見えてくる。

 馬主は菊花賞みたいな有名レースの出走なんて考えてるんかなあ。まかり間違って出走なんて事になって、アナウンサーがうろたえるのを密かに期してるんやろか。

 「第三コーナー、トップはウンノツキ! 半馬身遅れてオバサンオバサンがこれを追う。その後ろにぴったり付けているのがガンバッテミル!アスキット、アスキットが激しく追い上げています!!」

 「オトコのロマン」には、いろんなカタチがある。

 

 

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