文化・芸術・宗教

2018年6月 8日 (金)

ボストン美術館の至宝展@名古屋

 名古屋ボストン美術館に行ってきた。

 今回展示の目玉の一つ、英一蝶の「涅槃図」が目当てで勇躍赴いたのだが、残念ながらぼくには真価が今ひとつ分からなかった。

 もう一つの目玉展示は、ゴッホの「郵便配達人」と「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」。
 チラ見しただけで早々に通り過ぎた。

 ゴッホは苦手なのだ。

 アムステルダムのゴッホ美術館に行ったことがある。
 展示絵画から放射されてるというべきか流れ出てくると言えばよいのか、妖気のようなとんでもないパワーにぼくは耐えられなかった。たかだかキャンバスに塗られた絵の具なのに、何故にこうまで「何か」を発散し得るのだろう。今回チラ見した二つの作品からも明らかに妖気が感じられた。

 「ウリ」の二つに振られてしまったぼくだが、べつにめげているわけではない。

 クロード・モネ 《ルーアン大聖堂、正面》
 幾条もの光の柱がまっすぐ天へ向かって上昇していってる。なんじゃこりゃぁ!と心の中で叫び、しばし呆然と見入ってしまった。この絵をひとことで表すなら、「敬虔」。

 モネは好みではない。それでもジヴェルニーに行ったことはある。行けばモネに対する自分の心象に転換が起きるかと期待してた。でも空振りだった。世間で評価の高い画家なのに、それを感じられない自分がちょっと寂しかった。

 が、この「ルーアン大聖堂」、ぼくのモネの絵の見方を変えてくれた気がする。

 村景文、岡本豊彦、東東洋『松に鹿蝙蝠図屏風』
 どっちゅうことのない絵に見える。左上から力強い松の枝が右下へ下りてきて、その先に振り向いた鹿が居る。それだけ。

 でもこの鹿、すっげー存在感がある。王者の風格がある。奈良公園で煎餅をねだる鹿とは格が違う。

 この鹿に力強さを与えているのは何かいなーと暫く眺め入り、それ、左側にまるで主人公のように描かれているでかい松が枝を通して鹿と一体化してるのではないかと気付いた。こういう技法もあるんだ。

 セザンヌとかラトゥールとかシスレーとかの静物画が数点あった。

 テーブルの上の果物なんかを描いた静物画。ちょいちょい目にするんだが、それがどーしたといつもスルー。価値が分からぬままこの歳になった。

 どの絵だったか、脇の解説に目が洗われた。配色や光の実験だとあった。別の絵の解説では、力の流れの表現に目を向けるよう促された。
 静物画って、カタチではなく、そういう視点で見るものであったのか。もっと若い頃に気付いておきたかったなあ。

 他にも、小林一茶の屏風絵が三角形構図を積み重ねてできているのに感心したり、古代エジプト《センカアマニスケンの彫像》の筋肉の表現に見とれてしまったりと二周回り、大満足の半日だった。

 この名古屋ボストン美術館、巨額の上納金や展示方針の不自由さなどの問題を抱えていた。本家ボストン美術館との20年契約は更新せず、今年で10月で閉館となる。

 
 
 

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2018年6月 3日 (日)

お客様は神様でございます

 今ではクレーマーの拠り所になってるこの台詞。
 それを初めて耳にしたのは三波晴夫の舞台だった(テレビでだけど)。

 キンキラキンの衣装で客席に向かって三波晴夫が客席に向かって両手を広げながらそう言うと、客はどっと沸いた。

 ぼくより若い方達はご存じないだろうからちょっと付言しておくと、三波晴夫は大正12年生まれの浪曲師。「東京五輪音頭」は国民的大ヒットとなった。そういう時代。

 当時のぼくは幼心に、「そーか、ゼニくれるから神様なんや」そう思ってた。
 たぶん、世間一般の感覚もそうだったろう。

 それが証拠に、長じて会社勤めするようになってからもこの台詞は度々耳にした。「客の言うことはゼッタイやで」と。

 この台詞、良くも悪しくも、日本の高度成長期の立役者だったのかもしれない。

 ところがご本人の意識はそうではなかった。
 三波晴夫自身は、「藝というものは、『神さま』への奉納」というつもりだったらしい。

 カネを持ってくるから客は神様なんですよねというインタビューへの答えは、
 「あなたは、神様からお金をもらいますか」

 短いフレーズは屡々(しばしば)、発信者の思いと受け手の印象の間にズレを潜ませている。



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2018年5月 5日 (土)

のだめカンタービレ

 今更、なんだが、「のだめ」にのめり込んでいる。

 知人が「眠れなくなるかも知れないけどね」と貸してくれたアニメのTV録画DVD-R。
 彼にはこれまで随分いろんな録画アニメを貸してもらってる。

 「少女終末旅行」
 「信長の忍び」
 「Re:CREATORS」
 「君の名は。」
 「ソード・アート・オンライン」
 「ノーゲーム・ノーライフ」
 「GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」
 等々・・・

 どれもこれも例外なくハマり、一旦視出したが最後、最終話までぶっ続けで見続け、翌日は寝不足となっていた。

 「のだめ」実写版がTV放映されている頃、一度だけ家族が視ているのを見かけたことがある。竹中直人扮する「シュトレーゼマン」の「嘘臭い、いかにもガイジン風」の喋り方に、この作品はアカンとその時は勝手に決めつけてしまってた。

 なので大して期待してなかったんだが、これもみごとにハマり、日曜の夜から見始めたのが大馬鹿で、翌月曜出勤間際ぎりぎりまでぶっ通し。
 「巴里編」のパリの情景が何とも懐かしかった。

 二度目のフランス滞在中にパリの住人が「ここ、『のだめ』に使われた建物」と教えてくれたのに、「あ、そう」でスルーしてしまったのは、今にしてみれば勿体ないことをしたもんだ。

 その後、実写版や劇場版を含め、youtubeで繰り返し見てる。
 主人公はもちろん「のだめ」だけど、度々鼻にツンと来るものを感じるのは「千秋」の出来事の方。多分ほかの人たちとは観点が違うんだろうな。

 

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2018年4月 4日 (水)

「応仁の乱」(中公新書/呉座勇一)

 サラエボでオーストリー皇太子が暗殺された。それが第一次世界大戦のきっかけとなった。ガッコでそう習った。
 当時、何でそれがあれだけの国を巻き込んでの大戦争になったのか、まるで理解できないでいた。ハプスブルグ家縁者の相続争いだったと知ったのは、随分後になってからのことだ。

 応仁の乱に至っては大して興味も湧かず単なる争いごとの一つとしか捉えてなかった。
 ただ、「京都人が先の戦争と言う時、それは応仁の乱を指すのだよ」という都市伝説だけは、ずっと頭の片隅に残り続けてきた。

 「新書」なんだからキホン二時間で読めるはずと侮って掛かったら、案に相違して手強かった。三百人に至る登場人物の名を覚えられるはずもない。そもそも名の読みが難しいし、地名だって全部が分かるわけではない。

 なので、「正しく読む」のは早々に諦め、ふーん、そーゆーことだったのね、程度の読み方に切り替えた。

 畠山家の家督相続争いに幕政への影響力増強を狙った山名宗全がのっかって細川勝元と対立し、足利義政は将軍職を譲るからといやがる弟の義視を還俗させた。なのに、義尚が生まれるとそれを反故にしてこれを将軍職に就けようとする。反発した義視が山名宗全を頼って・・・とこれまた家督相続のお家騒動。

 中央でそういうややこしい対立がある一方、地方では領地荘園の奪い合いが力ずくで蔓延していて既に戦国時代みたいになっていたのが背景となり、各地の武力勢力はそれぞれの思惑でこの機に乗じて領土を増やそうとし、戦火が全土に及んでいった。

 とまー、著者には悪いが、ぼくの理解は大体そんなところ。

 リアルタイムで成り行きが記録された二人の僧の日記、「経覚私要鈔」(興福寺別当・経覚、九条経教の子)と、「大乗院寺社雑事記」(次の興福寺別当・尋尊、一条兼良の子)に拠りながら本書が著されているのだが、学術的価値を保ちながらの記述は素人にはきつかった。

 でも、僧兵というのはホンマモンの坊主ではなく、寺社に属する武力集団だとか、公家が出家して寺に入る理由だとか、幕府の威信が既に地に落ちかけていた有様とか、そういう事情が分かっただけでも拾いものだった。

 東軍(細川派)と西軍(山名派)が対峙して都の中で互いに陣を構え、西軍が陣を構えたところは西陣と呼ばれた。西陣織の名の由来というトリビアも楽しい。

 当時の守護大名は京都に住むことを義務づけられていた。ヒマな彼らは和歌や連歌といった公家の遊びを否応なしに身に付けることとなっただけでなく、京都に莫大なカネを落としたことで経済発展に寄与した。

 乱の収束後、守護大名達は領地固めが大事とばかりに、次々と自国領に帰っていった。

 京文化が地方に広まったのは、乱を逃れようと各地に避難した貴族だけがその役を担ったのではなく、京文化を身に付けた守護大名が自国で都を懐かしみ模倣したためでもあると著者は言う。

 本書を下敷きにした小説か漫画が出てくれると嬉しいんだが。

 

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2018年3月25日 (日)

インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実(監督 チャールズ・ファーガソン)

 経済界大物へのインタビューを中心としたドキュメンタリー映画である。

 リーマンショックという金融大崩壊は予見されていたどころか、首謀者達が大儲けするために入念な下準備が行われていたという程度のことくらいは、今では誰もが知っている。

 しかし、その首謀者達の誰一人として罪を問われていないというのが、ぼくにとっては衝撃的だった。

 監督のファーガソン自身がこう語る。

 今の経済界のトップ75人を投獄してみればよい、そうすればこのような危機が起こる確率は極めて低くなる。

 金融ビッグバンともてはやされていた規制緩和がどういう意味を持つのかその当時は分からずにいたが、そういうことであったのかと胸落ちさせられる作品。

 

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2018年2月17日 (土)

ラフォルグの詩

 四十年来、片時も忘れず時々復唱し続けている詩の一編がある。

 作者はJules LAFORGUE。NHKのフランス語講座で若い頃に覚えたのだが、意味が今ひとつ分からず、それでも何故か気になってたまに思い出したりしてきた。

Je ne suis qu'un viveur lunaire
Qui fait des ronds dans les bassins,
Et cela, sans autre dessein
Que devenir un légendaire.

Retroussant d'un air de défi
Mes manches de mandarin pâle,
J'arrondis ma bouche et - j'exhale
Des conseils doux de Crucifix.

Ah ! oui, devenir légendaire,
Au seuil des siècles charlatans !
Mais où sont les Lunes d'antan ?
Et que Dieu n'est-il à refaire ?

 引っ掛かりつづけていたのは、最後から二行目の”Mais où sont les Lunes d'antan ?”。

 ヴィヨンの「去年の雪今何処(いずこ)」の本歌取りと見て、「去年の月今何処」の解釈こそがツボと信じてきたのが失敗だった。「本歌」の”Ballade des dames du temps jadis”まで眺めてきたのは時間の無駄だったなー。

 今夜も四行三連詩を眺めながら、ふと散文的に訳してみりゃいいんじゃないの とひらめいた。

オレは月の光を浴びてこそ生き生きと
噴水の中で踊り回れる
踊ってる理由は他でもない
伝説に名を残したいから

尊大ぶって両腕の袖をまくり上げるのは
支那人官吏の色褪せた服
オレは唇をすぼめ、密やかにまき散らす
十字架の優しい慰めの言葉

そうとも、伝説になるんだ
この欺瞞の歴史の変わり目に
でも、昨日までの月は何処に行っちまった
リメークされた「神」がオレには必要なのに

 これですっきりした。四十年来のモヤモヤに片が付いてめでたしめでたし・・・の筈だった。
 ところが、ぼくが覚えていたのは一つの独立した作品ではなく、実は長大な”Locutions des Pierrots”の第16節でしかないと、今になって初めて知った。

 迂闊だった。これ、全部読んだら解釈が変わるんだろうか。もはや追求する情熱は胡散霧消してしまったしなあ。でも折角だから通読してみるかなぁ。思案投げ首。

 

 

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2017年12月26日 (火)

肘関節骨折2 四門出遊

 大きな病院の待合で座っていると、町医者とは違って、様々な患者が目の前を通り過ぎる。

 点滴器具を押しながらよたよたと歩いている人、ストレッチャーで慌ただしく運ばれていく人・・・
 健常者はそうでない人々にどれだけ思いを馳せることができるんだろう。

 ふと「四門出遊」を思い出した。釈尊(お釈迦様)が出家に至るエピソードである。

 釈迦族の王子として何不自由なく育った若き日のゴータマ(ガウタマ)・シッダールタはある日、地上に出てきた虫が鳥に食べられる光景を見てしまった。それも、繰り返し。
 他者の生命(いのち)を以て己の生命の糧にするという現実に愕然となり、彼はふさぎ込んでしまう。

 心配した父 浄飯王は、気晴らしに城の外の光景でも眺めてみたらどうかと勧めた。

 勧めに従い王子シッダールタが東の門から出ると、歯が抜けて腰の曲がった老人がいた。

 宮殿暮らしで醜いもの一切から遠ざけられていたシッダールタは問う。
 「あの人、何?」
 従者が答える  「老人です。人というものは歳をとれば誰でもあのようになるのです」

 次に南門から出ると、痩せさらばえた人が体を震わせていた。
 シッダールタは問う 「あの人、何?」
 従者が答える  「病人です。人というものは生きている限り病から逃れることはできません」

 次に西門から出た時にシッダールタが目にした光景は、お分かりであろう、
 火葬の現場だった。
 従者は言う 「人というものは、如何なる者とて『死』から逃れることはできないのです」

 そして北門で修行者と出会ったゴータマは、出家を考え始める。

 

 昔、大家族が小さなコンミューンの中で暮らし、身のまわりに老人も病人も、死人も当たり前に見ていた時代があった。それまで庭で走り回っていた鶏を屠る光景だって日常生活の一環だった。

 「核家族」という言葉が生まれたのはいつの頃だったんだろう。

 その辺りからぼくら<現代人>は、「生・老・病・死」への感受性を失い始めたらしい。手持ち無沙汰の病院の待合でそんなことを考えていた。

 

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2017年10月12日 (木)

小学校の英語教育 4・・・外国語を学ぶ御利益

 世界に打って出ようという気がさらさら無くても、外国語を学ぶ理由はある。
 論理的な話し方を身に付けることができるという効果がある。

 有り体に言ってしまえば、日本語で、のほほんと深く考えることなく暮らしている限り、論理的に自らの思いを開陳する力は付きにくい。(「のほほんと深く考えることなく」という下りに注意されたし)

 いつの頃からか不覚にも知らないのだが、日本人の会話とか文芸というのは、相手が「察する」ことを基本としている。

 「言ひおほせて何かある」とか、「秘すれば花なり」なんてのは、その典型だろう。そんなん、ガイジンにはとても通じない。

 通じないのは日本語のせいではない。そういう表現形態をとるぼくら自身の思考や表現形態のせいである。日本語でもきちんと論理だって説明することはできる。できるけど、日本語を使うと、そういう習い性がどうしても出てくる。

 だから、ちょっと距離を置いた外国語での表現を試みることは思考訓練にもなる。

 亡くなった会社の先輩がこう言っていた。
 「言いたいことはいっぺん英語にしてみたらエエねん。そしたら非論理的なところがすぐ分かる」
 フランス哲学者の内田樹は、和文仏訳の「お稽古」に朝日新聞の「天声人語」を使うと書いていた。日本語で読めば何となく分かった気になる文章でも、いざフランス語に訳そうとすると、その非論理的な展開を再構築せねばならず、頭の体操になると。(ぼくの学生時代、深代惇郎の書く天声人語は世評が高かったのだが)

 そういうところに気付くには、やはり一度どっぷりと日本文化に浸ってしまい、そこからの対比で外国文化を学んでいく方が深いところまで理解できるのではないだろうか。

 ここまでぼくは、「英語」という単語をできるだけ避け、「外国語」と表記してきた。

 文科省が推進しようとしているのは、「英語」教育と言いながら、その実「米語教育」ではないのか、米国の植民地化政策ではないのかと疑いを持っているからだった。

 若年からの「英語教育」が、何事に於いても中途半端な日本人を形成してしまう方向に走ってしまわなければよいのだが。

 

 

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2017年10月10日 (火)

小学校の英語教育 3

 外国語の若年教育は、悪いことではない。

 若年層での外国語教育に理由があるとすれば、日本語以外の音韻に慣れることが第一であるとぼくは思う。

 外国人との会話で苦労するのは、音が聞き取れないからだ。
 音さえ拾えれば、あとは単語と文法力の問題だけで、これは習得しようという意志さえあれば、何歳からであっても、誰にでもできる。けれど、耳の方は、音感の良い人を除けば、トシ喰ってから鍛えるのはハードルが高い。

 だから、若年層の外国語教育に当たっては、歌や美しい文章の暗記に注力するのが最善策だとぼくは信じてやまない。

 小学生が外国語習得にどの程度モチベーションを持ち続けられるだろう。当初こそ、リンゴはアップルって言うんだって、と物珍しさで引っ張っていけるだろうが、それを何年も継続できるだろうか。

 それよりは、暗誦させるのが一番だ。若年層は暗誦能力に長けている。意味が分からなくても覚えてしまう。

 小学時代に授業で習った歌がある。

 ♪クイクヮイ マニマニマニマニ ダスキー/クイクヮイコー クイクヮイカム/クイクヮイ マニマニマニマニ ダスキー/クイクヮイコー クイクヮイカム/オニコディモ オーチャリアリ ウンパ・・・

 意味不明 ( ̄Д ̄;;
 でも、覚えてる。

 時には同僚の名前さえ咄嗟に出てこなくなるようになってしまってるぼくだが、それでも覚えてる。若年の記憶力を侮ってはならない。

 美しく脚韻を踏んでいる歌を一学期で二つほど、正しい発音と共に覚え込んでいけるなら、一生の宝物となること請け合い。

 加えて、「使えるフレーズ」を含んだ短文を暗記する。これは必須であろう。但し、できるだけ正確な発音で。

 初回のフランス赴任時、昔聞いていたNHKのラジオフランス語講座は随分役に立った。テキストの課題文章をぼくは毎週暗記した。

 渡仏後、ごく希にではあるけれど、そこで覚えた構文がそのまま使える場面もあった。
 その時の、その構文だけはとても立派に喋れた。

 相手のフランス人は、文法発音間違いだらけのガタガタのフランス語を喋るコイツが、何故このフレーズだけ?と訝っていたに違いない。

 

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2017年10月 9日 (月)

小学校の英語教育 2

 前記事で引いた、「小学校における外国語教育・・・」の18ページに、こんな記載があった。

 「国際的な視野を「身に付けていると思う」と回答した各国の若者(7か国中)」
1位 ドイツ (69.6%)
2位 スウェーデン (61.0%)
3位 英国 (56.5%)
7位 日本 (24.8%)

 「国際的な視野」ってなんだろうと、引用元の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査(平成 25 年度)」を見てみたら、

Q32 国際社会の一員としての役割を果たしていくために必要な「国際的な視野」(例えば,自国と他国の文化・歴史・社会を理解し,互いの生活・習慣・価値観などを尊重して,異なる文化の人々とともに生きていくことができる態度や能力)を,自国の国民はどの程度身に付けていると思いますか。この中から1つだけ選んでください。

 続くQ33「国際的な視野を身に付けるために必要な政策」という問いへの回答が、こうまとめられている。

日本の若者が考える「国際的な視野を身に付けていくために必要な政策」は,「外国人と交流する機会を提供する」(42.0%),「海外への留学の支援・促進を図る」(32.6%),「様々な 場 での外国の文化や歴史の教育の充実を図る」(29.4%)が上位にあげられている。

 日本人全員が「国際的視野」を持たねばならないんだろうか。そのために、何故わざわざ政府が「外国人と交流する機会を提供」しなければならないんだろう。

 これらの問いと回答の選択肢に恣意性が感じられなくもないのだが、そもそもこれは内閣府による「若者の意識調査」で、対象が「各 国満 13 歳から満 29 歳までの男女」への、どう感じていますかというアンケートなのだ。

 その若者達の「単なる感想」を以て文科省が若年外国語教育の必要性へと敷衍するのは、ちょっとスジが違うのではないか。

 「国際的視野」の育成を教育に織り込んでいきたいなら、本来既に他国で活躍している人々に「あなたの経験から、今後どういう施策を打っていけばより良くなると思うか」と尋ねるべきではないか。

 こと外国語習得に関する限り、経験者対象のアンケートに「人間、必要に追い込まれればいやでも頑張って自分で勉強するさ」という選択肢があれば、そこに多くの回答が集まり、文科省の「予算獲得」という目論見は潰え去る可能性が無くはない。

 

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