文化・芸術・宗教

2017年7月19日 (水)

chef (シェフ)

 chef (シェフ)という語は、日本ではもっぱら「料理長」として使われているようだが、本来的には「軍事・行政の指示を下す者」。下って、一般的には何かしらの「組織の長」という意味合いで使われる。
 だから、会社組織で言うなら、社長以下、部長とか係長とか課長とか、みーんなそれぞれのユニットのchef。

 この7月14日の軍事パレードでマクロンが「Je suis chef de l'État ( I am "chef" of the State=私は国家の長である)」と発語したのには、ちょっとびっくりした。

 フランス人の感覚では多分当たり前に聞こえるんだろうが、当たり前だからこそ、こんなところでそんなに気張らんでもええんちゃうの?というのが、万事控えめなぼく(失笑)の感想。

 ルイ14世が言ったとされる「朕は国家なり」は、「l'État, c'est moi (State, it's me.)」。ニュアンス的にちょっと違う。


 

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2017年7月17日 (月)

パリ 7月14日 2017年 「ニース」から一年

 大勢の人々が花火見物をしていたプロムナード・デ・ザングレ(イギリス人遊歩道)に大型トラックが突っ込み、死者84人、200名以上の負傷者を出した大惨事は、一年前のフランス国民祝日の7月14日の夜、ニースで発生した。

 今年、軍事パレードが一通り終わったところで、コンコルド広場では「NICE」という人文字が描かれた。(手前=下の三色テントの下にフランス大統領以下来賓がおわします)

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 ニースでは一周年の追悼式が行われ、フランス共和国大統領も勿論出席した。軍事パレードが終わるやニースに飛んだんだろう。

 ニースではこんなことをしていた。
 何やら貼っている。

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 次々に貼っていく。

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 このハート型が完成すると、この事件で亡くなった犠牲者の名が全て表示されるという仕掛けになっている。

 かの暴走トラックに立ち向かった、警官だったかどーゆー人だったか聞き漏らしたが、ともかくその方に「騎士」の勲章が贈呈された。

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なるほど、こういう場合にも勲章が授与されるのか。分かりやすい讃え方だ。賞状なんかと違ってかさばらないから、リビングの飾り棚みたいな場所に置いておくこともできると、妙なところで感心した。

 とはいえ、何となく違和感をぼくは感じる。

 ここニースだけでなく、バタクラン劇場やシャルリ・エブドその他でも悲惨な事件が起こっている。そういった場所でも周年追悼式があるのかどうか寡聞にして知らないが、あるとすれば、それらにも共和国大統領は欠かさず出席しているのだろうか。

 複数の民間人が犠牲になった襲撃事件が発生すると、マスコミはすぐにテロだテロだと騒ぎ立てるが、政治的な意図あってのテロであれば、即座に犯行声明を出さなければ意味がない。

 シャルリ・エブド事件はそういう意味では分かりやすかった。メッセージは明確だった。
 でも、その他の事件ではどうだったのか。便乗と見られても仕方の無いようなタイミングのずれたところでISが犯行声明を出したりしてるということになっている。このニース事件も、ぼくの知る限りでは背後関係は明らかになっていない。

 にもかかわらず、なぜ「ニース」だけに焦点を合わせるのだろう。
 社会不安を掻き立ててトクするのはどういう連中なんだろう。

 

 

 

 

 

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2017年7月15日 (土)

パリ 7月14日 2017年

 フランスの革命記念日。
 第一次大戦19017年に米国が援軍を出兵した100周年記念として、今年はトランプ夫妻が招待されていた。

 パリで一度目にして以来、ぼくはこの軍事パレードに結構病み付きになってしまってる。
 二時間半のフル中継をyoutubeで見付け、初めから最後まで見てしまった。

 その中でぼくの興味を引いたのは、パレード終了後の、新大統領マクロンの演説だった。

 オランドもサルコジも、歴代フランス大統領も同じようなことを喋っていたのかも知れないが、その内容なんてついぞ気にも掛けなかった。

 今日たまたま引っ掛かったのは、憲法九条改正議論(ぼくは推進派)が頭の片隅にあったせいなのだろう。安倍サンもこれっくらいの演説ができれば、なぁ、と溜息が出た。

 てことで、マクロンのそのdiscoursをご紹介。

 フランス本土、海外県、そして外国在住の親愛なる市民諸君。
 この7月14日、我々はフランスを祝おう。我々を一つに結びつけるものを祝おう。自由という名の独立を、一人ひとりに与えられる平等を、思いやりの心の友愛を祝おう。

 フランス国民の活力と意志が我々の歴史を築いてきた。
 1789年7月14日はフランスの歴史が始まった日ではない。いかなる信条ならば従っていけるのかを民衆が示した日だ。
(略)

 不安定な社会において、民主主義、思想の自由、宗教や肌の色・性別・意見で差別されない権利、また安全な暮らしや子どもたちの教育への権利は自生しているわけではない。
 それらを守ることを、自らの生命の危機を賭すことも顧みず選択した男たち、女たちが、ここフランスにいる。

 その男たち女たちは我々の、兵士であり、警察、消防隊、武装警官、税関たちだ。彼ら皆が我々を守っている。今日という国家の祝日に彼らが行進するのは、彼らが自由と権利を守る兵士であるからだ。

 彼らの忠誠心、献身、力が、我々が選択した秩序を保証してくれている。彼らに感謝したい。国家を挙げて感謝申し上げる。時にはそれが血で購われることも、私は知っている。

 フランス国家のために死んだ人々、残された寡婦、子どもたち、両親、親族がいることを、私は知っている。
 親愛なる市民諸君。この百年間、フランスは子どもたちを守ってきた。難民やテロ犠牲者の子どもたちも守ってきた。
(略)
 本日出席の傷痍軍人各位(略)私たちはあなた方の偉大なる犠牲を忘れはしない(略)。

 今日という記念日に、我々は決して忘れてならない責務がある。
 それは、我々が権利獲得のために支払った代償であり、また、それらを守るためにこれからも支払わなければならない代償があるということだ。何故なら、それこそが我々をフランスという一つの国家に結びつけ、今のフランスを形作っているからだ。

 全てのフランス人、フランスを選んだ人々、フランスを愛する人々に、今日という記念日が、和やかで喜びに満ちた日であることを祈る。

 共和制よ、永遠なれ、フランスよ、永遠なれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年6月 4日 (日)

<アニメ> GATE(ゲート) 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり

 「どーぞ」って知人が貸してくれた。
 テレビ放送を丁寧に録画編集したDVD-Rである。

 アニメって さー、絵が汚いからねーと話してたら、いえいえ、今どきのアニメはなかなかのモンでっせと「ガールズ&パンツァー」を貸してくれたのが彼だった。これにはハマった。戦車の動きのリアルさに随分興奮して謝辞を述べたからだろう、「これもエエですよー」と持ってきてくれたという次第。

 「ガールズ&パンツァー」と同様、このアニメ作品も実にリアルな描写を見せてくれる場面がある。アニメ・キャラも筋立ても、演出も素晴らしい。

 カンペキにハマって日曜の早朝から一気に12話ぶっ通しで見てしまった。

 東京のど真ん中に異世界への「GATE」が突如現れ、陸上自衛隊がその異世界へ・・・という筋立て。海自でも空自でもなく、陸自をメインにしているのは、本土防衛への作者の思い入れか。

 「GATE」の向こうの世界は中世期風で、当然陸自の方が圧倒的に重火器装備で勝っているわけだが、大量殺戮の場面がちと気に掛かった。そこに目を瞑れば、よくできている作品。

 同じ彼が貸してくれた録画DVD-R「No Game, No Life」は、人生哲学に通じるような内容。来月劇場映画が登場するらしいから、人気の程がうかがえる。

 どちらもyoutubeで視聴できるけど、海外のサーバー保存みたいなんで、at your own risk で どーぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年4月 1日 (土)

四月一日

 四月一日はフランス語でpoisson d'avril(四月の魚)。

 何故「四月の魚」なの?未だ充分暖かくならないのに、お調子者の魚が跳びはねて捕まえられる・・・みたいな意味だろうと勝手に考えてきたが、それでは心許ないのでちょっと探索してみた。

 「新年の始まりはそれまで四月一日だったのを、1564年にシャルル9世が一月一日に定めた。それを知らず四月一日に新年の挨拶をしたり贈り物をしていた人々を嘲って、偽物の贈り物をしたりして小馬鹿にしたのが始まり」という説があるそうな。

On raconte que jusqu'en 1564, l'année commençait le 1er avril. Cette année là, le roi Charles IX décida de modifier le calendrier pour faire commencer l'année le 1er janvier.
Donc le 1er janvier 1565 tout le monde se souhaita "bonne année", se fit des cadeaux, se donna des étrennes, tout comme à un début d'année.
Mais beaucoup de gens eurent du mal à s'habituer à ce nouveau calendrier et certains n'étaient même pas au courant que la date de la nouvelle année avait changé ! Ils continuèrent donc à s'offrir des cadeaux et des étrennes le 1er Avril.
Pour ce moquer d'eux, quelques petits malins ont eu l'idée de leur offrir des cadeaux un peu spéciaux, des faux cadeaux, des cadeaux pour de rire, bref des blagues ! 
(http://www.momes.net/Fetes/Poisson-d-avril/Origine-du-Poisson-d-Avril)

 でもここには「魚」が出てこない。

 同じ記事内に、「四月は産卵期で漁が禁じられていたため、漁師に作りものの魚を贈った」とか、「肉食禁止のラマダンのシンボルが四月の魚で、四月一日に祝いや愛を込めたカードを交換したのが始まり」と、これは肉を食べられる日を待ちわびて、ということなのかな。

 他に、ギリシャ神話まで遡ったり、あるローマ皇帝がそのポジションを、foolと言われていた人間に一日だけ譲ってみたのが起源とか、諸説紛々。

 「ビストロ」と同様、起源ははっきりしてないみたい。

 

 

 

 

 

 

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2017年3月25日 (土)

松岡正剛の千夜千冊 362夜 小学生の俳句歳時記

 昔、「がっがっが鬼のげんこつ汽車がいく」という小学生の俳句に腰を抜かしたことがある。

 という冒頭部分を読んで、ぼくも腰抜かした。
 なんだ、こりゃー!ひっくり返りそうになった。 小学生の感性というのは凄い。

 以下、そのページに掲載されていた俳句の抜粋。

 まいおちる木の葉に風がまたあたる

 ねこの耳ときどきうごく虫の夜

 座禅会むねの中までせみの声

 風鈴に風がことばをおしえてる 

 ぶらんこを一人でこいでいる残暑

 なのはなが月のでんきをつけました

 転校の島に大きな天の川

 水まくらキュッキュッキュッとなる氷

 かっこうがないてどうわの森になる

 星を見る目から涼しくなってくる

 いなごとりだんだんねこになるわたし

 夏の日の国語辞典の指のあと

 墓まいり私のごせんぞセミのから

 あじさいの庭まで泣きにいきました

 話してる文字が出そうな白い息

 えんぴつが短くならない夏休み

 秋のかぜ本のページがかわってる

 ちょうど楠本憲吉の「俳句のひねり方」を読んでいたところで、そこには文語体の方が俳句らしい表現になるとあった。それには同意するんだけど、口語体で、しかも「ひねり」なしでここまで表現できるんだと感動しきり。

 完璧に完成している句もあるけど、仰天したのは「かっこうが・・・」。これ、凄い。
 「いなごとり・・・」も情景がまざまざ。

 田舎で育ったぼくはこれらの句に激しくノスタルジーを揺さぶられるのだけれど、大都会の真ん中で育ってる今どきの子どもたち、この感動を共有できるんかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年3月19日 (日)

異邦人 Albert Camus, L’étranger ふと思ったこと

 実存主義とか不条理の哲学とかいうのをぼくはよく知らないが、結局釈尊の教え「四苦八苦」に通じるのではないかなあ・・・

「四苦」=「生・老・病・死」の苦しみ。

「八苦」=上の四苦に以下の四苦を加えたもの。

 ・愛別離苦(あいべつりく)=執着してるものを永遠に手元にキープするなんてできません

 ・怨憎会苦(おんぞうえく)=出会いたくなくても、嫌な奴とか事象にはぶち当たる

 ・求不得苦(ぐふとくく)=強く欲しても手に入らないことはなんぼでもある

 ・五陰盛苦(ごおんじょうく)=結局のところ、苦しみってのは人を構成する五つの要素、即ち、色・受・想・行・識の構成に起因するのだよ。
 (色:目に見えるもの、形・物質一般、受:色を受けた感受作用、感覚、想:授を受けた心の動き、行:想を受けての心作用、識:認識、識別作用)

 これら、「何故だ!」と叫んでも人生では決して避けることのできない苦しみ。
 その救済を、唯一神教は「それはね、絶対神の思し召しなんよ」と、不可視の存在を仮定して解決しようとした。

 仏教は、そない言うても叶わんことは叶わん、せやから、あるがままに世界を見て、じたばたせず、あるがままに受け止め、自分の信念(釈尊の教え)に従って生きなされと教えた。(浄土系は唯一神教に一見酷似しているけど、根本は同じだと思う)

 キェルケゴールやカミュがこの教えを知っていたなら、どうコメントしたろうか。興味がある。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年9月19日 (月)

ホアキン・アチューカロのピアノを聞きに行った

 予定していたわけではない。初めて耳にするピアニストである。

 朝、突如ヨメからの、チケット購入済みだが体調が優れないので代わりに聞きに行けとのご託宣。演奏者のことも演目も何も知らぬまま赴いた。

 名古屋の宗次ホール、客席は三百ほどでこじんまりしていてなかなか感じがよい。受付のおねーさんたちもきびきびして、好感度◎。

 予約席は二階の最前列、ステージに向かって右寄りで、通路の隣という絶好のポジションだった。
 ついでだがこのホール、座席に工夫がある。背もたれの下部にL字型の出っ張りがあるのだ。休憩中に席を立って座面が跳ね上がっても、パンフレットを置いておけるのである。

 前半はバッハの「人の望みの喜びよ」、ベートーベンのピアノソナタ第10番と第30番。この人、本来的にベートーベン弾きではないという印象。音が響いてこない。退屈だった。

 ところが後半、モンボウ(って、ぼく知らなかった)の前奏曲から一変する。アチューカロも演奏後自信満々の笑みで客に挨拶。続いてグラナドスとアルベニスの曲に。音の迫力も伸びも色彩もリズムも申し分ない。客の拍手が明らかに変わった。

 アンコール曲が、エルネスト・アルフテル「ハバネラ」、 スクリャービン「左手のためのノクターン」、ショパン「ワルツ第16番」と「前奏曲」第16番」。

 前半は辛かったが、このアンコール四曲で救われた気分になった・・・てか、アンコール曲が一番良かったな。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年9月18日 (日)

フランス Journée du patrimoine 先祖伝来家宝の日

 ”patrimoine”という単語にぴったり来る訳語を、昔から見付け得ないでいる。
 「遺産」というのが一番無難なのだろうけど、遺産と言い切るとなんだかぼくにとっては、今は直接の役に立たないような語感がある。
 それで苦し紛れに「先祖伝来家宝」と訳してみた。

 フランスでは年に一度、普段は一般人が入ることのできない場所を公開している。今年は9月17日、18日の二日間がそれに当てられた。
 例によってFR2より。

Jours_de_patrimoine001

 「警戒態勢の日」と銘打たれている。

Jours_de_patrimoine01

 フランス全土で公開される場所は17,000箇所に及び、延べ1200万人がこれらの「patrimoines」を訪れたという。

Jours_de_patrimoine002

 昨今のご時世に鑑み、街中では厳重な警戒態勢。

Jours_de_patrimoine02_sorbonne

 パリの大学群の一つ、ソルボンヌ校舎。普段は学生しか入れない。
 こんな立派な講堂で講義を受けるなら、学ぶ方も身を入れんといかんなあという気になるのではなかろうか。

 お歳を召したおばちゃん達が席に座って嬉しそうに「雰囲気だけ味あわせてもろてんねん」と言うておられた。

Jours_de_patrimoine03_locomotive

 Haute-Loireでは、この日は特別に蒸気機関車が運行。

Jours_de_patrimoine04_locomotive

 Jours_de_patrimoine05

 ストラスブールの裁判所。
 「Lieux de pouvoir(権力の場所)」という表現が出てきたところを見ると、公権力の偉容を人民に見せつけるという意図もあるのではなかろうか。

Jours_de_patrimoine06

 この混雑は、エリゼ宮(大統領官邸)の入場を待つ人々。行列は600mに及ぶ。FR2の今回の放送ではそうと言わなかったが、ここは毎年一番人気だと思う。入場するに当たって超厳重警戒態勢であったのは言うまでもない。

 乗り物みたいなのは別にして、就中(なかんずく)昔の権力者の構築物は、庶民から巻き上げたゼニで築き上げられたもの。それ故カネに糸目は付けない結構なのだから、目を見張るほどに素晴らしいのは当然だろうなあ。

 公権力が贅沢極まりない場所に棲息しているのを正当化するのにこの催しは役立っているんのではなかろうか、と考えるのは僻目(ひがめ)だろうか。

 先の戦争の敗戦で江戸の大名屋敷は灰燼に帰し、地方の庄屋様は零落してしまった。
 そういった屋敷が今でも多数残っていれば(幾つかそういう場所はあるけど)、同じような催しが日本でもできたのではないかと、ちょっと残念に思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年5月26日 (木)

世界の大学ランキング

 以前にFigaro紙の記事を紹介したことがある「大学ランキング」は、The Times Higher Educationのものだった。

 ここの最新版ベスト10は

1    California Institute of Technology
2    University of Oxford
3    Stanford University
4    University of Cambridge
5    Massachusetts Institute of Technology
6    Harvard University
7    Princeton University
8    Imperial College London
9    ETH Zurich – Swiss Federal Institute of Technology Zurich
10    University of Chicago

 だそうである。

 全部を見るならここから「RANKING」タブで。

 こういう格付けというのか順位付けをしている機関は他にもあるようで、most prestigious universities で検索すればいろいろ出てくる。

 それぞれ独自の基準を持っているようで、The Best Schoolsというところでは、ランク付けだけでなく、各大学の特徴が書かれている。

 ところで、東大や京大が日本最高学府ということになっているが、その基準は何なんだろう。入るのが難関ということは知っているが、その先に何があるのかぼくは知らない。

 以上、徒然なるままに。

 

 

 

 

 

 

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