パリ以外

2014年1月18日 (土)

エトルタ Étretat 

 以前にエトルタのことを書いたことがあった

 FR2でエトルタを紹介していたので、懐かしくて画面のスナップショットをとった。
 単に懐古趣味で並べた画像なので、悪しからず。

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 切り立った崖の上は広い野原。その中にぽつんと教会がある。ここまでは足を運ばなかった。

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 昔は漁師の町で、浜辺はこんな風景だったそうな。

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 ここは印象派に愛されたらしい。クロード・モネもその一人。

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 刻々と太陽の光と共に変わりゆく景色が彼らの心をとらえた。

 海洋に突き出た場所の刻限と共に移ろいゆく景色というものは、見ていて飽きない。四十年前、石垣島のカピラ湾で、美しい湾の光の移り変わりを半日じっと眺め続けていたことを思い出す。

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 ノルマンディー風の家屋。

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 自分で日没を見ることはなかったが、この画を見ると、夕刻までいれば良かったかなと、ちと心残り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年11月 1日 (金)

サン=テミリオン 空中遊歩

 ボルドー・ワインの著名な地域の一つ、サン=テミリオン Saint-Émilionの気球遊覧をFR2が紹介していた。

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 遙かに広がる葡萄畑を眼下にのんびり気球で遊歩というのは、なかなか良いだろうなあ。

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 こんな風にシャトーを眺められるなんて・・・

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 写真真ん中に見えるのはテーブルと椅子。こんな中で食事が出来たら、さぞおいしかろう。出てくるワインは勿論このシャトー産(だろうと思うけど)。

 五年前の八月にボルドー地方のシャトー(場所は忘れた)のテラスで、そこで醸造されたワイン何種類かを試飲する機会に恵まれたことがある。

 その当時はコトバが未だ不自由だったので、雰囲気を充分満喫できる状況ではなかった。それでも、広々とした緑の中でワイングラスを持ち、そして、チーズみたいな簡単なアテしかなかったのに、賎しく何杯もおかわりしたことを懐かしく思い出す。

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 湖で乗客の乗っているバスケット下部をわざと着水させる、なんておまけ付きだったりして、観光客はすっげー喜んでた。

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 サン=テミリオンの気球遊歩は常設ではないようだが、ウェブサイトで探してみたら、フランスで気球に乗れる場所はたくさんあるんだ。知らなかった。

 一人二百ユーロ前後と安くはないが、そういうものがあると知っていたらパリ滞在中にきっと試してみたことだろう。残念なことをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年5月21日 (火)

Carcassonne カルカソンヌ

 「ナポリを見て死ね」というフレーズにお目に掛かったのは、ぼくがまだガキだった頃。

 このフレーズを目にしたのは一回だけではなかった筈だから、その当時は一般的な語句だったんだろう。

 意味分からんかったです。ナポリに行ったら、死ぬの?って。

 カルカソンヌは欧州に残る最大の中世城壁都市。

 四半世紀前に訪れた時に土産物で買った鍋敷きには、こう記されていた。

 Il ne faut pas mourir sans avoir vu Carcassonne.(= You must not die before having seen Carcassonne.)

 それを見て、それまで完全に忘れていた「ナポリを云々」の語句が突如頭の中に噴出し、長年のモヤモヤ感が漸く拭い去られたのだった。

 中世の趣そのままに、周囲3キロに及ぶ城壁に囲まれた街が未だ残っていると耳にするだけでも驚きであり、訪れてみればその驚きは空耳ではなかったと納得するだけでなく、倍加する。

 一旦街の中に入ってしまうとその広さが視覚的に実感しにくいが、付近を走る高速道路のパーキングからの遠景が実にいい。

 ちょっとずつズームしていくと、こんな感じ。

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 歴史も古く、城塞都市としては世界に名を響かせているのに、エピソードは意外に少ない。

 ガリア人がこの地に住み着き始めたのは紀元前6世紀だという。
 むぅ~、縄文時代ではないか。

 初めての要塞ができたのが紀元前3世紀。弥生時代か…

 その頃に要塞ができたというのは、つまり既に争いが始まっていたという証左でもあろう。欧州民族の殺しあいの歴史というのは筋金入りなのだ。

 さて、城壁入り口の一つはこんな感じ。

 

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 これをそのままディズニーランドに持って行ったらウケるんじゃないかなー。

 遠く城壁が延びる。

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 門をくぐって入る。

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 モン・サン・ミッシェルの道はもっと狭かった。

 カルカソンヌを周囲からギューッと絞り上げ、中央が盛り上がったのがモン・サン・ミッシェルだぁ~と言ったら、怒られるかな。

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 城壁のぐるりを歩いて回れる。

 

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 今でこそ手摺りがついているが、昔々ナトリウム灯も水銀灯もない時代、この狭い所を下っ端見張り番は夜も見回らねばならなかったんだろう。

 人間、やっぱ出世せないけませんな。 

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 これだけの要塞都市であるからして、戦闘は数多あったのだろうが、歴史に残るようなエピソードはそれほど多くないようだ。

 その数少ない中の一つが、アルビジョワ十字軍。

 高速道路のパーキングエリアの観光用パネルにその情景があった。

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 アルビジョワ十字軍に敗れ、引っ立てられるカタリ派信者達。

 カタリ派を語る資格はぼくにはないが、この世の中は悪に満ちた「間違い」で、清潔禁欲な心を厳に保つことで正しい世界へ行けるという信仰、とでも大括りに考えて宜しいのではなかろうか。

 イデアに対するエイドス、といった、古代ギリシャ哲学の流れを汲んでいたのかどうかは知らないが、いずれにせよローマ・カトリック教会の教えと相容れるはずもない。

 その当時、この一帯は敬虔なカタリ派で占められていた。

 こんな教えが勢力を持っては、ローマ教皇はとても困る。

 邪魔なこの一派を殲滅するためにフィリップⅡ世と語らい、「アルビジョワ十字軍」を結成して攻め入ることにした。

 都合の悪い相手を攻撃したければ、「異教徒を撃つ十字軍」と宣言しさえすればよい。あとはどんなことでも許される。

 中世欧州の暗黒史を華やかに彩る魔女裁判は、このアルビジョワ十字軍以降盛んになったそうな。 

 右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい、でも、悪魔はトコトンやっつけなアカンのよ、と、そういう風に道具として利用されてきたのがキリスト教だったのだろう。

 その伝統は現代でも脈々と受け継がれている。

 ま、でも、この街を訪れるのにそんな感慨は無用。
 古い街並みをゆっくり歩いて回れば、中世を体一杯堪能できる。

 

 

 

 

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2013年5月18日 (土)

Castelnaud-la-Chapelle カステルノ城 その2

 とてもカワイイ場面に出くわした。

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 なるほど、甲冑はこういう風に身に着けるんだね。

 周囲にいた家族、ことにおばあちゃんはとても嬉しそうに、何枚も写真を撮っていた。
 坊や本人もすっごく満足そうな顔をしてた。

 そらそうやろ。大人OKなら、わしも絶対に「着付け」してもろてた。
 けど、あいにく、対象は子供だけだった。

 以下は、写真補遺。

 ちょっとお洒落なクロスボウ。

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 日本の刀剣はグリップ部分がなくて刀身だけ展示されていることが多いが、ヨーロッパのものは丸ごと残っている。

 一方、日本刀は握り手さえ付ければ今すぐにでも肉を断ち切れそうな妖しい光を放っているのに対し、ここに展示されている刀剣は「切れ味鋭い」という感じではない。

 もともと、鋭く切り裂くことは考えずく、鉈のようにぶった切るのを目指してたんだろうか。
 ゾーリンゲンでは刀剣を制作してたんだろうか。作ってたとしたら、どんな刀剣だったんだろう。

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 槍。
 TPOにあわせてということなんだろうが、ずいぶん種類があるものだ。

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 サムネイルでは分かりにくいだろうけど、「薙刀」。
 下部に一杯並んでるのは刃先のバリエーション。

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 ある意味殺伐とした展示物を沢山見た後で、この小径にはなんとなく心が和んだ。

 それは平和な時代の今のぼくがそう見るだけで、百年戦争やその他数多の戦がこの街を包んだ時代、、この狭い道をあの甲冑を身に着けた兵士達が走り回り、殺し合いをしていたんだろう。

 そういう情景へ馳せる思いを溶かし流してしまうような、のんびりと美しい日差しに包まれた午後だった。

 

 

 

 

 

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2013年5月17日 (金)

Castelnaud-la-Chapelle カステルノ城 その1

 ドルドーニュ川沿いには中世の城が沢山点在している。

 ロワール川沿いに展開する軟弱ヤワなやつじゃなく、中世期のものが中心のようだが。

 Château de Beynacが今ひとつだったんで、お口直しに川向こうの城を目指した。

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 このカステルノ城、Beynacとは打って変わって、やる気ありあり光線をビシバシ出していた。

 塔の上に旗が翩翻とひるがえっている所からして心構えが違う。

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 Beynacのチケット売り場は、羅生門とか東大寺南大門みたいな大きな門の薄暗い中で構えてたけど、ここは屋外一戸建て。
 当然明るい。チケット売ってるおねえちゃんも明るい。だからぼくも明るく8.2ユーロ払って入城。 

 この城は中世の武器博物館で、実に様々な武器が展示されている。   
   
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 下の写真は何だかお分かりだろうか。 

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 マシンガン。織田信長の鉄砲隊も真っ青。

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 「ORGUE」とある。普通パイプ・オルガンを指す語なのだが。

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 甲冑にも変遷がある。

 クロスボウ(ボウガンは登録商標)。   
   
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 上部に見える取っ手は、キリキリと弓を引き絞るためのもの。

 ロビン・フッドみたいに手で弦を引くのだとぼくはずっと信じてきたのだが、ここに並んでいるクロスボウの弓は鋼や分厚い板でできている。手で引き絞るのは絶対無理。

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 巨大クロスボウ。すぐ向こう側に立ってるおっさんと比べてみれば、その大きさは一目瞭然。(遠近トリックではありません)

 屋上階の見晴らしは当然絶景。その理由は前回書いた通り。

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 イギリスとの百年戦争の頃はこのドルドーニュ辺りが戦線となり、ベナック城はフランス軍、このカステルノ城は英国軍の基地となって相対峙したそうな。

 う~む、英国はここまで侵略してきたのか。(← と、我知らずフランス寄りの感想)

 百年戦争なんて言葉に向かい合うのは高校の世界史授業以来だが、随分身近なものに思えてきた。

 ラ・ロッシュ・ギヨンでも同じような思いが湧き起こった。「世界史」の学習なんて、日本の教室に座っているだけでは、到底ホントの理解は及ばないとシミジミ思う。

 そうは言うものの、取り敢えずでもいい、教室で学んでおきさえすれば、幸運にもたまたまこういう場所に行き当たった時、いろんなものがぱぁーっと開けてくるのもまた事実。

 だから、ガッコの勉強は疎かにしてはならん、って、今更遅いけど 涙)

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 この写真の真ん中の向こう側にベナック城がある。   

 やたら沢山の投石機が置かれていた。ピエールフォン城では、投石機は見せ物程度にちょろりと置かれていただけだが、ここのはちょっと迫力があった。   
   
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 城の中にも投石機の模型がある。

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 実際に石を飛ばしている風景がビデオで流されていた。

 ベルトに載せられた石はオーバースローのように半円弧を描いて高々と空中に上がり、最遠点に至った時にそれまで石を運んできたベルトの片側が外れてリリースするという仕組みは、そのビデオで初めて知った。

 投げるのは石ばかりではない。糞尿や死体をこれで投げることもあったとか。

 日本にはこの手の戦闘用具はなかったと思うが、もしあったら、やっぱり死体も放り投げたんだろうか… 

 
 
 
 
 
 

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2013年5月15日 (水)

中世の城 Château de Beynac ベ(イ)ナック

 この城を訪れるなら、切り立った崖に沿って流れるドルドーニュ川の畔に車を置き、急な坂道を歩いて登っていくのが本筋だろうが、あいにく川の袂に適当な駐車場が見つからなかった。

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 小さな街はそれなりの趣がある。 

 だけど、城の入り口で入場チケットを売ってるオバハンは、やる気なしなし光線を出しっぱなし。ランスの自動車博物館のチケット売りオバハンを思い出した。   
   
 もちろん、もぎりのばばあに色目を使うてもらうのが本日の目的ではないからして、そんなことには拘泥せずずんずんと中に入っていく。   
   
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 城の建設開始は12世紀初頭と言うから、鳥羽上皇の時代。城壁上の竹矢来(とは、組んでないから、言わんか?)が往事を彷彿させる。

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 歴史的建造物だけあって風雪の重みは感じる。
 感じるが、重たいだけで華やかさがないのが、何の前知識も持たずに気まぐれで訪れた観光客には、ちょっと寂しい。   
   
 とは大分控えめな書き方で、門をくぐったらそれなりに広い土地がぽんと目の前に出現するのだが、どう描写して良いものやら、うち捨てられた廃墟みたいな感じだった。   
   
 ここにせめて桜と松でも植えてあったなら、♪春高楼の花の宴♪とでも口ずさめただろうが、そんな侘び寂びは望むべくもない。

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 内部は、なんとなーく、どーんとした広間があって、申し訳程度にちょこちょこっと小物が置いてあるような印象。   
   
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 などと憎まれ口を叩きつつ足を停めたのが、食堂。

 中世期物語の映画に出てくる雰囲気そのまま。 

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 広いテーブルの橋に掘られた溝は食事中刀剣を刺しておくためのもの。

 スキー場の茶店の外にスキー板を並べているようなもんだろうが、実際に刀剣の実物ががぞろりと並んでいるのに迫力を感じ、いやでもその当時の風景を想起せずにはいられない。   

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 古くから残ってるのがあったんで、取り敢えずそのまま置いときますわ、みたいな、ほんっとにやる気なしなしの だだっ広い空間なのに、いや、それだからこそなのか、何かしら想像力を掻き立てるものが感じられる。この部屋に身を置けただけでもここに来た甲斐があったというものだ。 

 屋上からはドルドーニュ川に沿った広い土地が一望の下に見渡せる。   
   
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 この一級の眺望は、決して誰かが安らぐためのものではなかった。

 当時の軍勢は川を使って行き来していたから、開けた眺望は軍事上きわめて重要なポイントであり、この城は実戦上重要な最前線の城の一つであった。   

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 帰り際、無愛想なオバハンのいるチケット売り場と反対側に目を転じたら、いろんなポスターが貼ってあった。 

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 ここも映画「ジャンヌ・ダルク」に使われたらしい。

 何の心構えもせずにぶらりと立ち寄っただけなので、あまり良い写真が撮れなかったのだが、本来はこのように美しい所らしい。

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 (webから拾ってきたパクりです。叱られたらスグ消去します)

 

 

 

 

 

 

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2013年5月11日 (土)

中世の街 サルラ Sarlat-la-Canéda

 ペリゴール地方を走っていて、ふと立ち寄ってみるかという気になった。   
   
 それまで聞いたことない街だった。   
   
 訪れてみたら、随分美しい街だった。   
   
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 13世紀初頭というからルネッサンスの頃、鎌倉室町時代の町並みを残しているという。   
   
 日本と同様ご多分に漏れず、フランスでも中世期の町並みは近代化に押されて次々に壊されていった時期があるらしい。   
 作家としても知られるアンドレ・マルローが1962年に制定した歴史的建造物を保存するマルロー法により救われた最初の街が、人口一万人にも満たないこのサルラだったとか。

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 その甲斐あって、あまり足場の宜しくない地理的条件にも拘わらず、年に数十万人の観光客が訪れるという。「ジャンヌ・ダルク」のような歴史物の映画にも使われている。

 綺麗な街やんか、と宿の親父に言ったら、おっさん、ボソッと呟いた。   
 「税金、高いんよねー」

 あんな、おっちゃん、この街の外観を維持するだけでも随分費用は嵩む思いますわ。せやけどそのお陰で観光宿泊客がアンタの宿をも潤すんよ…とは、さすがに言わんかったけど。   

 中心街をぶらぶら歩いていたら雨にあった。慌てて近くのカフェに飛び込んだら…   
   
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  は?    

 フランスは片田舎の街である。そこのカフェに提灯???      
 書かれている文字は、「市役所」と「メリー(=市役所)」      

 「何ですねん、これ?」とマダムに聞いたら、亭主が日本人だそうな。恐るべし、日本人。こんな土地にも棲息していたのか。      
 何故にこんなところに住み着く気になったんだろうか。フォアグラが好きだったんかな。      
 ペリゴール地方はフォアグラの産地として名高い。      
      
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 雨が止んで店を出たら、街角に停まっている車に目が吸い付けられた。      

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 Renaut25。1986年にぼくが乗ってた車。(一番格下の1800ccだったけど)

 路はいかにも中世期の街らしく、うかっと歩いていると自分のいる場所を見失う。      
      
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 それでもたいして広い街ではない。多少迷っても、何とか元に戻れる。だから心穏やかにゆっくり歩いて回るのが最上策。
      
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 ひときわ珍しかったのが、このナイフ・ボートみたいな建物。なんだったんだろう。この左手に公設市場があった。   

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 何か大きなインパクトがあるわけではない。

 でも、歩いているだけで何かしら幸せな気分になれる。年寄りの懐古趣味と断じられればそれまでだけど。

 パリ東部のProvinsとはまた違った味わいのある街だった。

 

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2013年4月21日 (日)

ブルターニュ ラ岬 la pointe du Raz その3

 多少強い波がバシャバシャと打ち寄せては返していた。ぼくが到着したのは比較的穏やかな時間帯だったらしい。

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 荒々しい流れはこちらのサイトで。 

 眺望を満喫して踵を返す。

 黒雲が頭上を覆い、小雨が降り始めた。車まで戻れるかなぁと心配しつつ歩みを進めたら、本降りになってきた。 

 慌てて軍管施設の脇にあるコンクリート造りの待合所みたいな所に走り戻った。

 雨はなかなか止む気配を見せない。その建物の中をぼんやり見回していたら、こんなパネルがあった。   

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 この半島は滞在型レジャーには打って付けのようだ。サイクリングコースあり、長距離ハイキングコースあり。 

 打って付けと書いたが、この地方に限らず、フランスではどこの地方自治体も短期長期の観光客を呼び込むための努力をしている。

 自治体が「自治」体として存続したいなら、独立独歩、自ら稼ぐ算段をしなければならぬ。 

 日本でもしたり顔で地方分権とか道州制を喧伝する方がいらっしゃる。どこまで現場を知っていて、それを改革するのにどれだけのエネルギーが必要とされるのか知った上でのことであれば、諸手を挙げて賛成しよう。

 でも日本で、ちほー公務員と呼ばれる人々の大半の意識を改革するのは並大抵ではなかろう。立派にやってる自治体もあるけどね。
 夕張市は今どうなっているのだろう。

 なかなか止みそうにない外の雨を眺めつつ、そんなことを考える。

 しびれを切らせて雨の中を歩き出す連中もいる。乾燥気候で濡れた服がすぐに乾くのに慣れているせいなのかどうか、傘なしで雨に濡れるのを苦にしない白人は少なくない。

 ようやく雨が上がった。雲の切れ目から差す太陽の光が彼方の海に反射していた。

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2013年4月20日 (土)

ブルターニュ ラ岬 la pointe du Raz その2

 ラ岬に至るには、カンペールから車で一時間ほど西へ走る。

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 カーナビがあるから楽チンと思いきや、その岬の麓のアドレスが分からずナビを正確に設定できない。(Peugeot602搭載のカーナビは地図上で行き先を設定できる機能があるのに、取説にはその方法が記載されてない) 

 付近の適当な村の名を入力したら、なんだかヘンな道に誘導され、結局途中で村人に道を教えてもらうハメに。トホホ。

 田舎道を走る。点在する村の、石造りの家の屋根の形は独特で、これがケルト風なのだろうか。 

 随分回り道をして岬の根っこに辿り着き、徒歩で岬先端へ向かったのは前回記述通り。

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 黒い雲が頭上に見えるけど、まあええじゃろと歩き出したが、荒涼としたまっすぐな道を歩むのはちと退屈。 

 「田舎の道は遠い」と言う。目的地が見えているのになかなか到達できない小さな苛立ち。

 海軍所有の建物から先がホントの岬先端へ向かう道なのだが、周囲は石ころが転がるだけでその先は断崖絶壁になっているというのに、柵のようなものは無い。一部、公園のようなプラリと垂れ下がったロープが張られている場所があっただけ。   

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 好きなところへお行きなさい、ご自身の責任で、というわけだろう。(ピサの斜塔の頂上部を思い出した。あそこも申し訳程度の細い手摺りが誂えられてるだけだった) 

 なのに、驚くなかれ、車椅子用の遊歩道が整備されている。勿論そっちの方は、車椅子が危険な場所へ行かないように「車椅子の遊歩コースはこっち」と書かれた案内標識が随所に出ていた。

 そしていよいよ辿り着いた岬の先端の風景や如何。

 

 

 

 

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2013年4月19日 (金)

ブルターニュ ラ岬 la pointe du Raz その1

 ♪ここ~は地の果て、アルジェリア♪ (カスバの女)

 地図を知ってりゃ、誰だって違和感を持つこの歌。アルジェリアって、地中海を挟んだすぐ向こうがマルセイユなのよ。アルジェリア人だって、物理的にはともかく、「地の果て」とは感覚的には思うまい。

 対するこのラ岬、フランスはブルターニュ地方の、ぐーっと大西洋へ突きだした岬で、これこそ地の果てと呼ぶに相応しい。

 この地に歴史を開いたのは、ノルマン・コンケストの時期。
 ノルマン・コンケストと聞けば、ぼくらの時代の高校世界史ではノルマン人のイギリス征服をさすのだが、ヤツらははここにも来たんだ。

 以前に「中世の城 ラ・ロッシュ・ギヨン」で彼らがノルマンディー方面からパリを攻めてきたことを書いたが、西の果てからもフランスに侵入していたのか。

 閑話休題。

 岬の名Razの語源は、「急流」だそうで、この岬の先を船で航行するのは随分難儀だったらしい。 

 ところで、最果ての地って、なんだかそそられない?

 そそられてしまったワタシ、のこのこ出掛けました、ブルターニュ地方まで。

 突き出た岬の手前で、「こっから先は、関係者以外の車は入ったらアカンよ」と書かれた標識があった。その先には岬の先端へ向けて細々と道路が続いている。バリケードがあるわけでもない。

 しばらく佇んでいると、車が一台通り抜けていった。

 んじゃ、この道、車で行っても構わんのじゃないかなぁと少々逡巡したが、お達しには従わねばなるまいと、よゐこのぼくは所定のパーキングに車を置いて岬の端っこまで歩いて行くことにした。

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 何の変化もないほぼ直線の道をトコトコ歩く。肌寒く、少々催してきた。

 すれ違う観光客の数はとても少ない。

 遂に、灌木に肥料をまくことにした。オトコに生まれて良かったと思う、実にささやかなひとときの至福である。 

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 道の先、海が見えてきた。岬のすぐ近くに建物がある。何だろう、測候所かなとプレートを見たら、フランス海軍の基地だった。

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 さっき、「えーい、車で行けるところまで行ってまえ!」と走ってここまで来てしまったら、どないな結末が待ち構えておったんやろか。

 

 

 

 

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