フランス以外

2013年8月25日 (日)

ピサの斜塔のテラスに手摺が設置されたんだ!

 行きずりのblogで見かけて、思わず保存してしまったこの写真。

Shato7

 なんでこんな写真を「思わず」保存してしまったかというと・・・

 この塔の土手っ腹に幾つかあるこういうテラス、三十年前、柵はなかったの。

 左側の円柱と右の壁の間隔は、大人二人がすれ違うのにぎりぎり程度。

 ゆーときますけど、この塔ははっきりくっきりと体感できるほど傾いているのです。

 右手の壁の内側に螺旋階段があって、その階段は低い側の方が見た目に分かるほど激しく磨り減っている。

 だから、このような柵のなかった当時、テラスに出てみたはいいが、一周するのはむちゃんこ怖かった。正直、へっぴり腰で壁に張り付きながら歩いてまわった。向かい側から人が歩いてきても、ぼくは絶対内側経路を譲らなかった。

 屋上には手摺があったけど、こんなに丁寧なものじゃなく、上の写真の太い縦棒だけだったと思し召されい。滑れば簡単に人が落ちてしまう程度のものだった。

 そんな想い出があったので隔世の感を感じ思わず拾ってしまった写真だけど、出所を控えていない。当該blog主さん、無断使用をお詫びします。

 

 


 

 

 

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2013年5月 7日 (火)

Mont-Saint-Michel モン・サン・ミッシェル

 モン・サン・ミッシェルに行ったのは30年ほど前に一度きり。

 だから今のぼくには書くことはない。   
   
Mont_St_Michel023jpg   

 たまたまニュースの中で、「隠されたモン・サン・ミッシェル」というコーナーがあったので、賑やかしにちょっとだけ。
   
Mont_St_Michel04

 ぼくの記憶に残っているのは、(我ながら気の毒なことに)こんな風な狭い道と夥しい土産物屋だけ。
   
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 それは多分ぼくの訪れ方が下手だったせいで、実に素晴らしい眺望もあった筈なのだが。

 他に覚えている景色といえば、島と対岸を結ぶ橋をてくてく歩いてったこと、くらいかな。

 「『名物』オムレツ」は食べてない。その店(味と店の態度)が良かったという話は、殆ど聞いたことないから、正解だったんだろう。
   
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 この方が全ての鍵を預かっているとのこと。下の画像は昔牢獄として使われていたんだそうな。

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 以下、ニュースからパクった画像だけ並べておく。
   
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 こうやって映像を見てると、もう一度位行ってみても良かったのかなという気にならんでもないが…、ま、ええやろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年11月 4日 (金)

ブリュッセル 高速列車 タリス Thalys に乗った

 四半世紀前、片道三百キロのパリ・ブリュッセル間を車で移動することに何の疑念も抱いていなかった。片道三時間の距離だった

 が、今では事情が違う。車の速度規制が五月蠅い。真面目に走ると四時間かかる。

 今週仕事でブリュッセルに行くことになり、最初何も考えずに車で往復するつもりでいたが、出張から帰った翌日に超ヘビー級の会議が連続で三つもセットされてしまっていた。流石に体力温存を図らねばならず、今回の滞在で初めてブリュッセル行き列車を使うことにした。

 その列車はタリスと呼ばれる高速鉄道で、パリからアムステルダムまで三時間半弱、パリ~ブリュッセル間を何と一時間半弱で結ぶという。パリ~ボルドーのTGVとは雲泥の差で、車内は清潔だし揺れも少ない。座席は安っぽいが、それでもボルドー往復TGVよりは余裕がある。

 退屈する間もなく到着したブリュッセルのMIDI駅は、ぼくが知っている駅ではなかった。

 思い起こせば四半世紀前。初めてフランスへ赴任し、右も左も分からぬ、一ヶ月経ったか経たないかの頃、いきなり上司に、ブリュッセルで会議があるからアンタも行くんやで、俺の車で一緒に行こうと言われて、訳も分からずブリュッセルへ。

 会議が終わってパリへ帰るというその朝、突然上司から告げられた言葉が、他の人間を乗せなければならなくなったからアンタは電車で帰ってくれ。

 は?

 突然の御託宣。ブリュッセルのことなんかまるで知りゃしない。どうすりゃいいのか分からず途方に暮れた。

 ホテルで方角だけ聞いててくてく歩いて辿り着いた駅で、苦労して窓口で買い求めた切符を握りしめ、パリ行きの列車が出るホームが分からず右往左往してぎりぎりに電車に飛び乗ったことを思い出す。

 あの頃は、ベルギーとフランスの国境を越えるときに、列車内でパスポート・コントロールがあった。

 パリの北駅に着いたら、雨がしとしと降っていた。

 その頃ぼくが済んでいたのはパリではなく、郊外だった。パリなんて殆ど知らなかった。そこから先、どうやってアパートに戻ればよいのか俄に分からず、また思案に暮れてしまっていた。

 そんなことを思い出しながら、今日、北駅へ帰ってきた。

 ぼくを迎えてくれたパリの空は、やっぱり、雨だった。

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2011年4月 7日 (木)

ストックホルム6 通貨

 自分の備忘録として記しておこうと思ってたのに、これも忘れてた。だいじょうぶかな、オレ。

 スウェーデンはEU加盟国なのに、通貨はユーロじゃなくてスウェーデン・クローネ。
 大方はクレジットカードで済ませられるだろうが、どの程度の少額まで使えるのか限度が分からん。取り敢えず50ユーロだけクローネに替えて持ってった。

 結局現金を強要される場面はなかった。タクシーもカード払いOKなのに感心した。パリのタクシーはクレカ決済できないのが普通。ストックホルムではカードOKが基本みたい。一度しか乗ってないので断定できんけど。

 パリに戻って結局使わなかったクローネ紙幣を空港両替窓口に出したら、戻ってきたのはなんと30ユーロ。需要の少ない通貨とは言え、小銭の端数はあきらめるとしても、なんじゃ、この為替ロスは。

 四半世紀前は近隣諸国に出かける時、ベルギーだとベルギー・フラン、オランダならダッチ・ギルダー、ドイツではマルク等々それぞれの国のオカネが当然必要で、何種類もの通貨を手元に置いとかねばならなかった。

 それが当たり前で、両替ロスなんか考えたこともなかったし、考えたところでどうにもならなかった。

 そういう意味合いでは、統一ユーロ通貨のお陰で、加盟国の一般の人々の利便性が著しく高まったのは間違いない。

 でも、スウェーデンはユーロを選択しなかった。結果的に正しい選択だっただろう。アイルランドが破綻したのは、ユーロ圏に入って独自の通貨政策ができなくなってしまったためなんだから。ギリシャもどうなることか。

 ユーロ圏全てを統合する強力な中央集権経済機構がないまま、そのくせ各国で独自の通貨政策をとることができない。今のままだと、ユーロは破綻の危険性を大きく孕んでいる。

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2011年4月 2日 (土)

ストックホルム5 おまけ

 思い出したんで、ついでに記しておこう。

 ヴァーサ博物館から市庁舎へぶらぶら歩いている道程で目に飛び込んできたスウェーデン国立美術館の広告。

 丸々としたお尻の絵がどーんと掲げられ、そのお尻の割れ目の所がモザイクになってて、そのタイトルたるや「Lust & Last」 。(英語だと「Lust & Vice」となるらしい)

 「おぉ、さすがにスウェーデン、なかなかやるではないか、これは是非にも行くべし」と強い意志を固めた筈だったんだけどねー。
 悲しいかな記憶力の弱さは人後に落ちない。歩いてるうちにころっと忘れちまった。

 展示期限が過ぎれば違う絵が表示されるだろうから、リンクは張らない。ご興味の向きはキーワード「national museum stockholm」でググってみて下さい。

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2011年3月30日 (水)

ストックホルム4

 つまらない写真だけど、この街を訪れたことのある人には懐かしがってもらえるかもしれないんで、ぶらぶらぶらぶら歩きの景色でも、埒もなく並べておこうか。

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 ノーベル賞授賞式が行われるというノーベル博物館へ行ってみたけど、休館日だった。

 市庁舎は立派な造りで、ガイド付きで中を見学できる。ノーベル賞授賞式の後、ここで宴会が開かれるそうな。

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 こんな豪華な「公共建築物」が許されるんだなー、欧州では。
 勿論過去からの引き継ぎ遺産ということもあろうけど、日本にこんな立派な市庁舎が出現したら、日本人はどう言うだろう。

 夕刻、「ice bar」なる場所へ。

 床以外は全て氷でできているというバー。壁もカウンターも、勿論飲み物を入れるグラスも、全て氷。
 部屋はマイナス五度に保たれているので、入り口で防寒ポンチョを借りて入室。

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 物珍しさだけのバーだけど、ぼくは一応建築に関わる工具を商っている身。分厚い氷の固まりをどう破綻無く切り取って接合部分があまり目立たないようにくっつけてるのか、興味津々であちこち検分。(でも、メシのタネは見付からんかった)

 夕食は結構ではございましたが、特にお勧めするという程のものでもない。食に関する限り、やっぱ、パリは恵まれてるのかな。

 三月のストックホルムは、風さえなければそれほど寒くはないけれど、今ひとつ。
 どうせ行くならやっぱ六月頃がよさそうだ。

 

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2011年3月29日 (火)

ストックホルム3 ヴァーサ号 続き

 釣り鐘状の装置は、このように使われた。Photo
 ジュール・ベルヌの小説にでてきそうな代物。前回の写真で横っちょに出てた紐は、「息ができんよー、苦ちいよ~」の合図用だったんだろうかね。

1961年と言えば、既にスプートニク号が宇宙に打ち上げられてたんだぞ。敗戦末期の日本海軍伏龍特攻隊でさえ、貧しい作りとは言え酸素ボンベを装備してたのに。(そういや、ザ・スプートニクスてのはスウェーデン出身のエレキバンドだった)

 軍艦大国であったはずのスウェーデンで建造された船が、風に煽られた程度で何故に敢えなくも転覆するという不様なことになってしまったのかと言えば、時の王グスタフ2世アドルフが、砲門を増やせ、ああしろこうしろと、何と!船の設計が終わってしまった後でいろんな要求を付け加えたから。

 結果、超トップヘビーな船になってしまったのだ。
 そんなん、子供でも分かりそうなものなのに。

 現場を知らないトップがあれこれ口出しし、イエスマンばっかりが揃ってるとこんなことになる、と、まさかそんなことを喧伝するための博物館でもなかろうけれど、何かしら考えさせられる場所ではある。

 ここだけは是非と勧められた当初にはあまり乗り気がしなかったんだけど、いやいや、確かにお勧めスポット。

 入館料 大人 SEK 110 アドレスは Djurgardsvagen 36, 115 21 Stockholm
 博物館の公式サイトは http://vasamuseet.se/en/Sprak/7/

 

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2011年3月28日 (月)

ストックホルム2 ヴァーサ号

 その昔スウェーデンは海軍大国だった。
 1628年徳川家光の頃、多数の軍艦と共に、二年を掛けて建造された当時最大の軍艦が進水式を終えストックホルム港から出航しようとした。

 と、巻き起こった一陣の突風。それに耐えきれず横薙ぎに傾いて船腹の開いた砲門から海水が流れ込み、敢えなく海底に沈んでしまったその軍艦をヴァーサ号という。

 333年を経た1961年、奇跡的に保存状態の良かったこの沈没船がストックホルム港の海底から引き揚げられた。(写真は全て、クリックで少々大きめの画像が)

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 下の写真が完全復元模型。

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 引き揚げ作業に使われた潜水服、これは分かるだろうけど・・・

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 こういうものも作業に使われた。

Photo

 さてこの面妖なる釣り鐘状物体の正体は何物であるか。

 解説は続編にて。

 

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2011年3月26日 (土)

ストックホルム1

 北欧の地に足を着けるのは初めて。

 「ストックホルムは北のベネチア」という表現を目にしたことがあるが、ちょっと違う。ストックホルムの川はベネチアなんかより遙かにでかい。丁度氷が溶け始めた時期で、川面には流氷、と言っても氷山なんかじゃなく川の表面に張った厚い氷が割れて、沢山流れていた。

 この街、建物の美しさだけならパリ以上かもしれない。好みによりけりだろうけど。

Stockholm

(大きい写真は画像クリックで)

 

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2010年9月 3日 (金)

ハンブルグ出張

 つまらなーい会議に出席するためにハンブルグへ出張。二日半も棒に振った。

 今回の出張の収穫は、CDG空港に三日間車を置いておくと、67ユーロかかるということに尽きるかな。

 タクシーだとパリ市内まで概ね50ユーロ程度なので、往復100ユーロ。四、五日のことなら、タクを使わず自分の車で空港まで行く方が安いということが分かった。

 これは地下駐車場の話で、実は空港から少し離れた所に屋外駐車場があり、そちらは長期出張者用の割安料金が設定されていると、四半世紀前に聞いたことがあるけど、実はまだ調べてない。




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